新型コロナウイルスの流行により4月7日には緊急事態宣言がだされました。民博も臨時休館の延長を余儀なくされ、春の特別展「先住民の宝」は準備が完了しているにもかかわらず、秋頃への延期となりました。4月23日の開幕予定だった企画展「知的生産のフロンティア」にも同様の措置がとられています。友の会の活動も極度に制限され、講演会や研修の旅は実施を自粛しております。
そうしたなか、当財団の理事を長くつとめてくださった立石義雄氏が4月21日、コロナ禍により急逝されました。80歳でした。謹んで哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申しあげます。立石氏は自社オムロンの経営だけでなく、京都商工会議所の会頭としても関西財界に重きをなしておられました。また文化人としての顔をもち、当財団にも暖かい支援の手を差し伸べてくださいました。
オムロンは創業者の立石一真氏(義雄氏の父)が提唱したSINIC理論(Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution)で知られています。これは1970年に京都国際会議場で開催された国際未来学会で発表された理論です。未来社会を予測するモデルであり、科学と技術と社会のあいだには円環的な関係があり、相互にインパクトをあたえあっているというものです。
国際未来学会の大会は創立まもない日本未来学会が主催した国際会議ですが、「万国博をかんがえる会」とおなじメンバーが立ち上げた「未来学研究会」が発端になっています。なかでも林雄二郎氏と加藤秀俊氏がその立役者として活躍し、大阪万博の年に実現させています。そこに京都財界の新星、立石一真氏が参画していくという構図です。このあたりの事情は、『季刊民族学』の最新号(172号)にある「インタビュー:加藤秀俊氏に聞く1970年前後の梅棹忠夫」をご覧ください。
オムロンといえば、駅の自動改札機でも有名です。日本初、いや世界初の自動改札機は阪急千里線の北千里駅に登場しました。1967年のことです。科学と技術と社会の相関関係をかんがえる格好の材料かもしれません。(2020年4月26日)