6月18日の大阪府北部地震の余波で7月の友の会講演会は中止せざるをえなくなりました。というのも民博の被害が阪神・淡路大震災以上に甚大で、エントランスホールの通行もセミナー室の利用もできなくなってしまったからです。民博の閉館は8月23日に部分的に解除されることになっていましたが、そのままいくと8月の友の会講演会も開催できないことになりかねませんでした。そこで会場と講師、日程を変更してまでも実施できないかと画策した結果、まず万博公園内のニフレルのご厚意で会場をお借りすることができました。講師についてはいろいろやりくりしてみましたが、民博の現役はフィールドワークのかせぎ時とあって、誰も都合がつきませんでした。ならば名誉教授シリーズということで、わたしがその役目を果たすことになったという次第です。
1年ほど前、わたしは「民族学で解く千里ニュータウンと大阪万博」(第469回)という題で講演を担当しました。それにつづき千里の地元にまつわるテーマで第2弾をとかんがえたところ、箕面駅前にあったコーヒー喫茶のチェーン店、カフエーパウリスタのことがおもいうかびました。いまをときめくスターバックスの先駆けがカフエーパウリスタであり、その1号店が箕面にできたことはあまり知られていません。地元ネタとして関心をもってもらえるのではないかと期待し、「日本人のブラジル移住とコーヒー文化の逆流―カフエーパウリスタ箕面喫店を中心に」という題に決めました。その要約は『友の会ニュース』(No.248)にゆずりますが、要点は以下のとおりです。
- ブラジル移住は1908年の笠戸丸が最初ですが、日本人はサンパウロ州のコーヒー農園の労働者としてコーヒー豆の生産に従事した。
- 他方、サンパウロ州政府はコーヒー豆を無償提供し、日本にコーヒー文化を根付かせようとした。
- その仲立ちの役割をはたしたのが「移民の父」と称せられる水野龍(りょう)であった。かれは最近、「珈琲普及の母」ともよばれている。
- 水野は1911年、合資会社カフエーパウリスタを設立し、銀座を本店としたが、それより半年はやく、1911年6月、箕面駅前に1号店がオープンした。
- コロニアル風の洋館にテナントとしてはいったカフエーパウリスタは山林こども博覧会の開会式にコーヒーを提供している。
- 洋館の建物はその後、豊中市に移築され、キリスト教会の集会所となったりしたが、長期間にわたり豊中倶楽部自治会館が近年まで使用してきた。
- 2013年10月1日、豊中倶楽部自治会館の建物の解体がはじまったが、一部の部材は同自治会館や豊中市文化財保護課が保存することとなった。
- 2013年の北大阪ミュージアムメッセ@民博特展場地下において模型、映像、パネル等で紹介された。
- その後、大阪歴史博物館、高知県立図書館、高知県佐川町、箕面市立郷土資料館、JICA横浜海外移住資料館などでも展示された。
- カフエーパウリスタ甲陽園店の建物も2016年に解体されたが、一部の部材は神戸市立海外移住と文化の交流センターの移住ミュージアムに移管され、一般公開された。
この講演のなかでひとつのひらめきを得ました。それは観覧車にかかわることです。というのも、ニフレルのとなりには大観覧車がまわり、エキスポシティの集客に一役買っています。他方、カフエーパウリスタ箕面喫店の写真にも山中に観覧車が写っています。これは山林こども博覧会のアトラクションとして建てられました。場所は今の箕面スパガーデンのところです。当時は動物園も併設されていました。それはのちに宝塚に移転され、宝塚ファミリーランドの動物園として2003年まで開園していました。
観覧車と博覧会は切っても切れない縁があるようです。1970年の大阪万博の時もエキスポランドには観覧車がありました。その大阪万博のあたえた影響のひとつに日本人が世界の飲食文化にふれたことがあげられます。アメリカのファスト・フード、インドのカレー、ロシアのピロシキ、ブルガリアのヨーグルトなどがその代表例です。あたらしい文化の導入に博覧会はおおきな役割りを果たしています。そして博覧会の跡地もまた、さまざまなかたちで博覧会の遺産をひきついでいます。万博公園、太陽の塔、民博もその仲間にはいります。
博覧会は期間限定のお祭りですが、その施設は解体あるいは移設され、その跡地もまた公園や展示施設、あるいは商業施設などに再利用されています。かならずしも雲散霧消するわけではありません。日本におけるコーヒー文化の大衆化が箕面の博覧会でまずのろしが上がり、銀座や道頓堀などの盛り場にひきつがれていったことも、ひとつの興味ぶかい事例を提供しているようにおもわれました。「博覧会の遺産、あなどるべからず」です。お祭りの後始末ではありますが。
【参考文献】
拙著「旧カフエーパウリスタ箕面店が提起する問題」『JICA横浜海外移住資料館研究紀要』第8号、国際協力機構横浜国際センター海外移住資料館、2014年、37-47頁。
【北大阪ミュージアムメッセの展示(2013年)<筆者撮影>】