みんぱく友の会の会報紙「友の会ニュース」は隔月発行です。
291号では2025年3・4月の情報を中心にご案内しています。
※2025年2月20日時点で決定している情報です。詳細はみんぱくならびにみんぱく友の会のホームページをご確認ください。

文化勲章受章者の川田順造先生が2024年12月20日、90歳の天寿を全うされました。西アフリカの旧モシ王国における非文字コミュニケーション(無文字社会)の研究で業績を重ね、日・仏・アフリカにおける「文化の三角測量」という手法を提唱し、『悲しき熱帯』(C. レヴィ=ストロース)の翻訳でも知られた文化人類学者です(本コラム第14話参照) 。達意の文筆家でもあり、『曠野から―アフリカで考える』(1973)では日本エッセイスト・クラブ賞を授与されています。
川田先生はわたしの学部時代の恩師でもあります。埼玉大学教養学部に文化人類学を中心とする総合文化課程ができたとき、石田英一郎教授のもとで実質的なマネジメントにあたったのが川田助教授でした。川田先生の人脈で講師陣には山口昌男、西江雅之、青柳真智子、坪井洋文、田島節夫、徳永康元、大野盛雄、尾本恵市らの先生が名を連ね、特別講師としては泉靖一、中根千枝、祖父江孝男、青木保、中林伸浩先生などが来られました。時に講師を囲んでひらく「総合鍋」と称するあやしい飲み会が大のお気に入りでした。気さくなところは東京下町育ちだったからでしょうか、学生とも分け隔てなく付合ってくれました。
川田先生の授業でわたしは初めてレヴィ=ストロースというフランスの高名な民族学者の存在を知りました。パンセ・ソヴァージュが「野性の思考」を意味すると同時に、「パンジー=三色スミレ」のことでもあり、「野生の思考は美しい」という洒落の効いたタイトルであることを学びました。もちろんマリノフスキーやラドクリフ=ブラウンなど社会人類学の先達のことも、ボアズやベネディクトなどアメリカの文化人類学についても一通り教えてもらいましたが、特に印象に残っているのは梅棹忠夫の「文明の生態史観」でした。そして講義の最後に「質問があれば、知り合いでもある梅棹忠夫氏に問い合わせることもできる」といった趣旨のことを述べられました。
川田先生は梅棹先生についての一文を『梅棹忠夫著作集』の「月報」5(1990)に寄せています。そのなかで、梅棹先生は知的生産技術論や情報管理論、研究経営論を書かれたが、次は人間関係のつくり方を中心とする研究経営者論を是非書いてほしいと要望しています。埼玉大学での新課程創設の苦労が脳裏をよぎったのかも知れません。残念ながら研究経営者論は実現することなく、ふたりとも同年齢で、14年の時を隔てて、この世を去ってしまいました。
川田先生は『悲しき熱帯』の舞台となったブラジルへもいちど足を運びました。1984年夏のことです。ちょうどわたしもサンパウロに長期滞在中で、何度かお会いする機会に恵まれました。2ヵ月ほどの短期旅行でしたが、「裸族」ナンビクワラなどレヴィ=ストロースの足跡をたどったり、「紐の文学」とよばれる民間の口頭伝承に触手をのばしたりと、精力的に各地を訪ね、『ブラジルの記憶―「悲しき熱帯」は今』(NTT出版、1996)をまとめました。この本には「私にとってのブラジル―12年ののちに」という章が含まれ、これもまた基本的に伯・仏・アフリカという三角測量の成果とみなすことができます。
このように川田先生との思い出は尽きません。先生のご冥福をお祈りするばかりです。(2025年2月11日)
本催しは、2025年3月14日(金)17時をもちまして、受付を終了いたしました。
たくさんのお申し込みをありがとうございました。
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【催し詳細】
対談イベント「いま、中東世界で何が起こっているのか?―前・駐レバノン大使に聞く」
日時:2025年3月22日(土)13:30~16:00(開場13:00)
会場:国立民族学博物館インテリジェントホール(講堂)【本館2階】
定員:350名
参加費:無料(事前申込制・先着順)
主催:NIHUグローバル地域研究推進事業「グローバル地中海地域研究」
共催:国立民族学博物館、公益財団法人千里文化財団
特集 大阪――野生の都市
商都、工都、水都など大阪はさまざまに形容されてきましたが、大阪を「野性を帯びた都会」とよんだのは、大阪生まれの民俗学者・歌人の折口信夫(釈迢空)でした。「都市に慣れながら、野性を深く持つのが、大阪びとの常である」「比較的野性の多い大阪人が、都会文芸を作り上げる可能性を多く持っている」と、折口は故郷大阪への期待を語っています。本特集では、古代の野性性と近代の都市性をあわせもつ「野生の都市・大阪」が生み出した批判的で創造的な文化の魅力を解き明かしたいと思います。
「大阪の野生」とは、近代性と古代性、強さと弱さ、求心指向と遠心指向、などの両義性、もっというなら多様性を包摂する懐の深さ、ということでしょうか。しかしその一方で、「オリンピック・万博」ペアが「東京・大阪」の組で何度も企画されてきたように(ただし、ともに東京の戦前ペアは不発だった)、常に東京をライバル視すると同時に憧れる、アンビバレントな心性も垣間見えます。そういえば今年は、大東京に対抗して「大大阪」と自称して100年ですね。
大阪を舞台とする小説で私が好きなのは『日本三文オペラ』。大阪城東側の広大な敷地にあった東洋一の軍需工場「大阪砲兵工廠」を、終戦詔勅の前夜、軍事力の根を絶つべくB-29が徹底的に破壊、廃墟には鉄や貴金属類が10年以上放置され、それを盗み出す泥棒集団が「アパッチ族」です。日本人、朝鮮半島出身者、沖縄出身者など、たくましい食い詰め者たちの共同生活模様を描いたこの作品は、「災害ユートピア」のような理想社会の姿として私の心を打ちました。著者開高健氏がやや理想化しすぎたきらいもありますが。1960年前後に無法集団は解散、ユートピアは霧散、子どもの私が城東線電車から見た赤錆鉄骨群は、国鉄電車区、公園、ビジネスパークに変貌、戦後が消えました。
本特集に引き寄せれば、古来、大阪湾や河内湖に接する水郷大阪に多様な人びとが集まった野生味が敗戦時に幻のごとく蘇ったのが、このコミュニティだったのかも知れません。特集で語られている生野区が近いのも必然、そういえば、街の賑わいが聞こえてきそうな絵地図を寄稿された樫永真佐夫氏は、「野生」を引っ繰り返すと「生野」、と警句を発しておられました。
コリアタウンが目指す他者との共生にかかわって、私が最近読んだ『都市の正義が地方を壊す』(山下祐介著)に刺激を受けました。日本の人口減少が止まらないのは共生コミュニティが成立しづらい大都市に人口が集中するからで、その原因は、東京中心の序列化、つまり地方よりは中央、農山漁村よりは都市、そして、第三次産業をトップとする「職業威信」の序列化があり、所得や財産の序列化も、これに沿っているのかも、というのです。この意識構造から脱するには、どの職業に就いても将来に不安がなく、お互い様の精神で支え合い敗者が生まれない仕組み、そして、ナショナル・ミニマムを設定し富を再配分する仕組みが必要でしょう。これは、いのち輝く未来社会の実現にも通じる視点でしょうか。(久保正敏)
2025(令和七)年1月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団