「田主誠版画展―ミュージアム・オブ・ドリームス」(2023年9月7日~11月28日)が無事終了しました。田主誠氏は2023年3月17日、満80歳の天寿を全うされました。その約半年後、石川泰子さんを中心とするチーム田主が結成され、当財団の主催として職員も協力し、国立民族学博物館の1階エントランスホールで3期に分けて版画展が開催されました。第1期(9月7日~10月3日)には民話の世界、民族博物誌、民博百景などが並びました。第2期(10月5日~31日)には心をひろう旅、いい日本みつけた、会社じんるい学など、関連の版画が展示され、第3期(11月2日~28日)には心の旅 西国三十三所、山頭火の風景、三角形に魅せられてなどの作品が紹介されました。また、向かいの休憩空間には雑誌や新聞などの関連資料がファイル形式で閲覧に供され、テレビモニターでは同氏をしのぶ過去の映像も流されました。会期中の常設展入館者は42,197名であり、多くの人に夢のある田主ワールドを楽しんでいただけたことと思います。
田主氏は当財団が刊行している同人誌『千里眼』のメンバーであり、創刊号からずっと表紙絵を描いてくださいました。没後の号も含め、その数は164回にのぼります。そればかりか「表紙のことば」という欄には絵にまつわる文章も綴られ、絵と文の二刀流で本領を発揮されました。絵には生涯かけて追求した三角形のデザインもあれば、四季折々の風景画もありました。民博初代館長の梅棹忠夫先生が亡くなったときは年間4回の表紙を梅棹シリーズで飾りました。そのうちのひとつ「抱腹絶倒」(2010)は会期中ずっと展示されていました。
田主氏の多才ぶりはカルタの世界にも及び、「少年少女のための民族学いろはかるた」(1985)では展示資料を描いた取り札と俳句調の読み札を考案しています。さらに詩文にも挑戦しました。「ある夏の日に」(1985)という詩は15の節からなり、「ある夏の日に はくぶつかんでみたのは 三角形の帆のある 大きなお舟」からはじまり、最後は「みんぱくは たくさんの やさしさとほほえみミュージアム・オブ・ドリームス」と結んでいます。
ところで、会期中に故・田主氏がつないだ人と人との関係には目を見張りました。まず9月17日(日)にみんぱくレストランで開催された「田主誠さんをしのぶ夕べ」には150名ほどの関係者が遠近を問わず相つどい、故郷舞鶴や東京からも大勢駆けつけて来られました。田主さんがいないだけで、個展のオープニングセレモニーのようだったと石川さんが述懐しておられますが、和気藹々とした雰囲気のなかでお互いに旧交を温める場にもなっていました。いささか個人的になりますが、田主さんに挿絵をお願いした「会社じんるい学」(2001年の大阪新聞の連載コラム、通算186回)の面々も第2期の会期中に集合し、新聞の担当者ともども献杯をすることができました。おそらくさまざまなレベルとつながりのなかで、まさに「芋蔓式」に、田主さんをしのぶとともに、かつての連帯感を思い出したのではないかと思われます。
今回の版画展はNHK総合「ぐるっと関西おひるまえ」(9月8日)、NHKラジオ「関西ラジオワイド」(11月7日)をはじめ、産経新聞(9月14日)、京都新聞(8月31日、9月15日)、読売新聞(9月30日、毎日新聞(10月19日)などでも取り上げられました。とはいえ、版画展関連の最大の労作は田主誠著、石川泰子編『版画家 田主誠の世界』(編集工房is 2023年9月7日発行)をおいてほかにありません。これによって田主ワールドは永遠に輝きつづけることでしょう。
主催者を代表して、協力をいただいた国立民族学博物館と編集工房is、後援を賜った茨木市、舞鶴市、NHK大阪放送局、京都新聞、産経新聞社、毎日新聞社、読売新聞社に厚く御礼申しあげます。また、チーム田主をはじめご支援・ご尽力をいただいた関係者各位にも深く感謝申しあげます。