季刊民族学190号 2024年秋

国立民族学博物館 創設50周年記念 特集 私たちが歩んだ半世紀

 1960年代の世界を彩ったのは「異議申し立て」だった。近代的価値観、科学技術万能主義、進歩史観、成長神話や中央集権的価値観から決別し、さまざまな分野で新たな道を模索する動きがはじまった世界史的な一大画期だったといえる。国立民族学博物館が創設された1974年は第一次オイルショックを機にそれらの動きが一転し、別のモードへの移行が始まる年でもあった。
 一般に歴史年表は、縦軸に年を、横軸に政治、経済、社会、文化、世相などのテーマを配することが多い。バタフライ効果ではないが、テーマごとの縦長年表を横方向にまたがってつなぐ相関関係を見出すことが、歴史年表を読む醍醐味のひとつに相違ない。本特集も、いくつかのテーマを横軸に置いて年表を思い描いてみるとどうなるか、の試みである。読者諸賢はこの50年を振り返るなかで、本特集の論考で暗示されている諸々の相関関係への洞察をお持ちになるにちがいない。そうした洞察が、次の、より良い時代への展望につながることを、願わずにはいられない。

目次
  • 000 表紙「民博誕生前夜の創設準備室 大阪分室」提供:国立民族学博物館
  • 001 目次
  • 002 表紙のことば 文:編集部
  • 003 国立民族学博物館 創設50周年記念 特集「私たちが歩んだ半世紀」
  • 004「ポスト『1968年』の社会運動――ドイツと日本の比較から」西田 慎(奈良教育大学教授)
  • 012「いま日本で原油・天然ガスに向き合う――終わった生産、終われない管理」縄田 浩志(京都大学教授・国立民族学博物館客員教授)
  • 023「何が日本の食卓を変えたのか――『洋風化』と食料安全保障」鈴木 宣弘(東京大学大学院特任教授)
  • 030「日本の『カルト問題』に見られる奇妙な構造――ひとつの素描」大田 俊寛(埼玉大学非常勤講師)
  • 036「演歌/アイドル/ニューミュージックの三極構造――1974年以後の大衆音楽」輪島 裕介(大阪大学教授)
  • 042「〈枷(かせ)〉と〈剣(つるぎ)〉のせめぎあい――メイクとファッションの50年」栗田 宣義(甲南大学教授)
  • 050「カワイイ文化・オタク文化とその越境――ハローキティから『腐女子』まで」床呂 郁哉(東京外国語大学教授)
  • 058「人文科学とコンピュータの半世紀――ある研究者の奮闘物語」及川 昭文(総合研究大学院大学名誉教授)
  • 066「文化人類学、半世紀の潮流」岸上 伸啓(国立民族学博物館名誉教授)
  • 072 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第8回
    「『伝統』を継ぎ接ぎする――トルコ絨毯の新たな展開」田村 うらら(金沢大学准教授)
  • 080「山分けの島の分かち合いの食文化――バヌアツ共和国フツナ島の饗宴の事例から」木下 靖子(沖縄美ら島財団総合研究所研究員)
  • 090「ミャンマーのチーズづくり――キッチンでつくるノゲー、雲南から来たノチャウ」竹井 恵美子(大阪学院大学教授)
  • 103 索引索引 No.181〜No.190

編集後記

 「トラつば」ロスからタイトルバックの群舞や胸熱シーンを振り返って涙ぐむ私を老人性感情失禁と細君は笑いますが、NHKの朝ドラ「虎に翼」から現代史の見方を多々教えられました。
 近代的歴史の見方が生まれた一九世紀欧州は科学の世紀、自然科学に負けじと客観性を求め、記憶を排除し公的記録に依拠する実証主義から始まった近代歴史学は、その後、時代の雰囲気や状況によって変化してきたそうです。国民国家形成に資する歴史学、その欺瞞的客観性への批判、対象を民衆や周縁領域に広げる動き、言語の恣意性に依存する記録より民衆記憶や語りの重視、専門家任せではない歴史学の模索、グローバリズムさらには地球史も含めたビッグ・ヒストリーなど。つまり歴史学自体も、政治・経済、文化や思想に影響され続けてきた、歴史的な事象なのですね。
 歴史学を、膨大な「真実」の事象群から取捨選択した「事実」の間の因果関係を解釈する営み、と言うなら百人百様の歴史観があって当然、特に現代史の場合、事象に遭遇した当事者には自己弁護や正当化のバイアスがかかるので、むしろ後の世代の方がより客観的で俯瞰的見方になる、との論があります。 また事象の同時代人でも、事態の進行中に全体像をつかむのはかえって困難、団塊世代の私も異議申し立てが世界史上の画期とは、後で知りました。本特集の場合、執筆者のほとんどは団塊の次の世代ですが、育った時代の政治・経済・文化環境の違いが歴史観にも微妙な違いを生んでいるようにも思います。
 歴史から学ぶことは可能でしょうか。自然科学は再現性を重視するが、人間社会の事象は一回性なので歴史学は科学ではなく教訓は得られぬとの見方があります。が、自然科学でも、原子レベルまで同一の条件下での再現は不可能であり確率論的な因果関係を問うのだから、歴史学でも条件を整えれば因果推論が可能で教訓を導くことはできるとの議論もあります。 冷戦終結後、民族主義や自国中心主義がかえって強まり、弱者ばかり苦しむ紛争や分断が蔓延しています。衣食足りて礼節を知る、ではないが、貧困と差別がなくなれば世界は平和になるかも知れません。が、それとはほど遠い現状、人類は歴史から何も学ばなかったか、と悲観的になります。「トラつば」の主題歌ではないけれど、100年先に、前半50年の教訓を踏まえ、貧困・差別のない穏やかな未来が来るのを願います。
(編集長 久保正敏)

 

2024(令和六)年10月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

『季刊民族学』は「国立民族学博物館友の会」の機関誌です。
「国立民族学博物館友の会」へご入会いただければ定期的にお届けいたします。
季刊民族学を閲覧できる公立図書館

季刊民族学189号 2024年夏

特集 先住民のデジタル世界――ありふれた日常実践と、あらたなる挑戦

 世界規模の情報通信インフラの拡充にともない、各地の先住⺠コミュニティにおいてもインターネットへのアクセスが⼀般的なものとなり、デジタル機器が盛んに利⽤されています。本特集では、SNS やアプリの利⽤、スマホでのやりとりなど、先住⺠のありふれた⽇常実践を通して、先住⺠の多種多様なデジタル世界とそこで展開されるあらたなる挑戦に迫ります。

目次
  • 000 表紙「ハンズフリー通話でつながる」撮影:平野智佳⼦
  • 001 目次
  • 002 表紙のことば 文:平野智佳⼦
  • 003 特集「先住民のデジタル世界――ありふれた日常実践と、あらたなる挑戦」
  • 004「躍動する先住民のデジタル世界」平野 智佳子(国⽴⺠族学博物館准教授)
  • 010「SNSを通したアボリジナリティの形成――ブロディ家の事例から」栗⽥ 梨津⼦(神奈川⼤学准教授)
  • 016「「歌と踊りのデジタルアーカイブ――先住⺠マオリによるFacebookの活⽤」⼟井 冬樹(天理⼤学講師)
  • 026「ロサンゼルスのメキシコ移⺠をつなぐゲラゲッツァ」⼭越 英嗣(都留⽂科⼤学准教授)
  • 034「オンライン化で変わる先住民居住区の暮らし――近くて遠いブリブリの人びととその世界」額田 有美(南⼭⼤学講師)
  • 042「クルージング・ザ・インターネット――ナヴァホ・ネイションにおけるデジタル・メディアとSNS」渡辺 浩平(国⽴⺠族学博物館外来研究員)
  • 046「⽻根飾りの冠に⼸⽮を構え、スマホで繋がりドローンを操る――ペルーのアマゾニア先住⺠の森と河を守る運動」神崎 隼⼈(⼤阪⼤学附属図書館特任研究員)
  • 054「国境係争地でスマホを開く――インド北東部における⼈、機械、環境の関係」⻑岡 慶(東京⼤学学振研究員)
  • 064「ネット コタン アンカㇻ(ネットのまちをつくる)――アイヌがネット空間でつながるために」北原 モコットゥナㇱ(北海道⼤学教授)
  • 070「街の空間とリズムに触発される――ハバナの⾳響空間、モザンビーク島の近所づきあい」松井 梓(国⽴⺠族学博物館特任助教)
  • 080「天上から地上へ魂を導く⼤凧――グアテマラ、マヤ先住⺠集落の死者の⽇」本⾕ 裕⼦(慶應義塾⼤学教授)
  • 091「『声』が聞こえる現象とは何か?――スピリチュアルと統合失調症のあいだの心理人類学」<後編>ターニャ・M・ラーマン(スタンフォード大学教授)
  • 096 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第7回
    「中国貴州省、ミャオ族の頭布――日々の装いに起きた変化」佐藤 若菜(京都⼥⼦⼤学准教授)

 

編集後記

 今号の記事で気づくのは、情報メディアに関する多様な論考。特集はもとより、本谷論考に登場する凧は、祖霊や雷、またメリー・ポピンズなど異界の存在との通信手段でもあるし、松井論考の音響空間も体感メディアですね。情報メディアつながりで、私は「文明の追い越し論」を思い出しました。
 関西を基盤として東洋紡績(現・東洋紡株式会社)を発展させた谷口豊三郎氏は学問界のパトロンとしても知られ、民博も一九七七年から一九九八年にかけ、ふたつの国際シンポジウム開催への支援を受けてきました。そのひとつ「文明学部門」シリーズで語られた論点のひとつが、文明のシステムや制度面でのニューカマーはしばしば先達を追い越す、という追い越し論。通信インフラの分野でも、有線インフラ整備が困難だった多島地域や乾燥地域では、無線通信や衛星通信技術を取り入れることで通信網の整備が一気に進み、既存地域を追い越した、というのも一例です。
 今号の特集が紹介するのも、時間と空間の距離を克服するデジタル・メディアなればこその先住民社会での活用術の数々。非接触・非対面のコロナ禍でいっそう促進された活用法を、先住民社会がうまく生かす様子が描かれます。
 二昔前まで私が調査していたオーストラリア辺境の村にも、一九八〇年代に導入され始めたマイクロ波通信インフラが遠隔地の先住民間のコミュニケーションを一挙に変え、生活をも変えました。採集狩猟社会で無文字文化を基盤とする先住民の人びとは高い図的イメージ操作能力を維持しているのか、アイコンを多用するユーザインタフェースが特徴のMacに素早く馴染み使いこなす姿に、当時の私は目を見張りましたが、これはいまや日常の姿。
 先住民の人びとは、「自然に優しい」など憧憬の対象となる一方で、いまだに差別的な視線を向けられることもつづいており、外部からの情報発信がこれら両極の見方を過剰に増幅する現象も、情報メディアの負の側面でしょう。先住民が使いこなす情報メディアは、それらをいなしつつも、自文化の発展に寄与していますが、それだけでなく、もうひとつ重要な意義をもつ、と思われます。
 先住民の世界は、概して辺境で厳しい環境にあります。だからこそ、森林破壊、農地破壊、そして温暖化など、西欧型社会のつくりだす災禍の被害者です。そうした地域からのグローバルな問題の提起や異議申し立て、たとえば「気候正義」の訴えを、世界はもっと真摯に受けとめねば、と思うのです。
(編集長 久保正敏)

 

2024(令和六)年7月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

『季刊民族学』は「国立民族学博物館友の会」の機関誌です。
「国立民族学博物館友の会」へご入会いただければ定期的にお届けいたします。
季刊民族学を閲覧できる公立図書館

季刊民族学188号 2024年春

特集 シン・シャーマニズム論――カミとつながる技術

 シャーマンとは、異世界を旅し、精霊や野生動物と交流することで、異なる姿や新たな能力を獲得した人びとのことです。 近年ではアメリカにおける認知科学の発達にともない、シャーマンがカミとつながるための技術(技法)の秘密に迫るような新しい研究が生まれています。 本特集では、こうしたシャーマニックな技術に着目し、人間の内的世界、人間の心の仕組みを明らかにするうえでの重要なヒントを探ります。

目次
  • 000 表紙「モンゴルのラッパー、メヘ・ザハクイ」撮影:O.Tugsbilig
  • 001 目次
  • 002 表紙のことば 文:編集部
  • 003 特集「シン・シャーマニズム論――カミとつながる技術」
  • 004「シン・シャーマニズム論――カミとつながる技術を再考する」島村 一平(国立民族学博物館教授)
  • 012「シャマンの楽器コブズ――その歴史と現在」坂井 弘紀(和光大学教授)
  • 018「ラクダ霊の真似と天界へのスピリチュアルな旅――クルグズ人の行者バクシ」ダーヴィッド・ショムファイ・カラ(ハンガリー 研究ネットワーク民族誌学研究所上級研究員)
  • 028「ドラミングからライミングへ――モンゴル・シャーマニズムの『韻の憑依性』」島村 一平(国立民族学博物館教授)
  • 040「ユタと神の世界をつなぐ歌」福 寛美(法政大学沖縄文化研究所兼任所員)
  • 046「時空をこえるンビラの旋律――ジンバブエ、ショナの憑依儀礼」松平 勇二(ノートルダム清心女子大学准教授)
  • 054「神々の世界をのぞく窓――ウィチョルのペヨーテ幻覚と毛糸絵」山森 靖人(関西外国語大学教授)
  • 064「『シャーマン』になった西洋人たち」河西 瑛里子(国立民族学博物館助教)
  • 070「『声』が聞こえる現象とは何か?――スピリチュアルと統合失調症のあいだの心理人類学」<前編>ターニャ・M・ラーマン(スタンフォード大学教授)
  • 076 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり第6回
    「エスニシティを象る装い――中国雲南省のモン衣装の移り変わり」宮脇 千絵(南山大学准教授)
  • 084 日本万国博覧会記念公園シンポジウム2023「『日本人』の内と外――異文化接触を語り合う」吉田 憲司(国⽴⺠族学博物館⻑)/橋爪 節也(大阪大学名誉教授)/井上 章一(国際日本文化研究センター所長)/ウスビ・サコ(京都精華大学大学院教授、情報館長)/中牧 弘允(千⾥⽂化財団理事⻑)

編集後記

 今号の特集は、映画監督・庵野 秀明氏が広めた「シン」を冠とするシャーマニズム論。日本ではオウム事件以降衰えたシャーマニズム研究、その復活を期す島村氏の着眼点「韻律」を受けた、音に関わる諸論考が興味深いですね。
 従来、拍やリズムとトランス(変性意識状態)との関係が論じられてきました。また、リズムのテンポが心拍や息継ぎと同期して身体を動かし、時間感覚の変成や没入を生み、それが周囲の人と同調して群舞にいたる、というように、音響と、身体感覚や運動、意識との親和性も指摘されてきました。W・J・オングが『声の文化と文字の文化』で語るように、音声で伝承された叙事詩には繰り返しや強調表現が多いのも、言語処理が身体感覚と密接なことを示します。
 本誌一六七号編集後記でも紹介した「視覚バッファ」説によれば、トランス状態で経験する事象は、どうやら本人が脳のなかから紡ぎ出したもの。目からはいった視覚情報はいったん脳内のカンバス、視覚バッファにアナログ的に描かれ、それを脳が認識するが、記憶がつくり出した「心的イメージ」も同じカンバスに描かれて知覚されるので、本人には、外からの図像か自らつくり出した図像か区別がつかない、というのです。スティーヴン・M・コスリンが一九八〇年に唱えた今も有力な説で、視覚以外にも通用しそうです。
 同じころから米国精神医学界では、精神疾患に対し特定の病因を探すよりは、まず診断基準の標準化(七五頁の訳注〈2〉参照)を目指し、社会・文化の枠組みのなかで精神医療を再考する動きが広まりました。ベトナム帰還兵の精神的不適応事例の増加、六〇年代「意義申し立て」を引き継ぐ、要素還元論的合理主義への批判、自然回帰、先住民文化への共感などが、その背景にあるのでしょうか。
 思うに、脳のはたらきは依然謎だらけ。精神疾患の諸事例を語る、オリバー・サックスの同じころの著作群で私が衝撃を受けたのは『妻を帽子とまちがえた男』。妻の姿を帽子掛けとしてしか認識できない顏貌失認症例の紹介です。人間が、周囲環境や意識・感情を統合的に把握できるのは脳回路の絶妙なバランスの賜、そんな日々を送れること自体が奇跡だ、と教えられました。
 ならば、シャーマニズムの世界は、案外近しいものかもしれません。
(編集長 久保正敏)

 

2024(令和六)年4月30日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

『季刊民族学』は「国立民族学博物館友の会」の機関誌です。
「国立民族学博物館友の会」へご入会いただければ定期的にお届けいたします。

季刊民族学187号 2024年冬

特集 境界をゆきかう日系人

 日本からの移住者およびその子孫である「日系人」は世界全体で400 万人以上いるともいわれ、その移住の歴史は1868年のハワイへの集団移住を起点とすれば150 年を超える。 本特集では、ルーツや移住の事情、居住地、世代、アイデンティティのあり方など、多様な日系人を取りあげる。国や文化、民族の境界に生き、境界をゆきかう日系人の姿をとおして、異なる文化をもつ人びとが共生する社会のあり方を考えたい。

目次
000 表紙「ハグ――友情と幸福、孤独の終わり」写真:ジュニオール・マエダ(写真家)
001 目次
002 表紙のことば 文:編集部
003 特集「境界をゆきかう日系人」
004「われら日系人、新世界と日本社会をゆきかう」中牧弘允(国立民族学博物館名誉教授)
008「「日系人」の変遷とnikkeiの意味――日系コミュニティと日系社会のちがい」小嶋茂(JICA 横浜 海外移住資料館 学芸担当)
012「重層的な記憶の場へ――サンパウロ東洋街の発展と変容」根川幸男(国際日本文化研究センター特定研究員)
020「「帰国」の先にある日常と未来――日系ブラジル人の子どもの教育」山本晃輔(関西国際大学准教授)
028「デカセギを伝える」ジュニオール・マエダ(写真家)
038「「終活」や「総括」に挑む日本在住の日系人たち」アンジェロ・イシ(武蔵大学教授)
046「踊るミグリチュード――ハワイ沖縄系移民のエイサーにみる災いと幸い」城田愛(同志社大学嘱託研究員)
054「三尾とカナダをめぐる移民文化の資源化と次世代育成」河上幸子(京都外国語大学教授)
062「鉄条網のなかの盆踊り――アメリカ強制収容所の日系人と音楽・芸能」早稲田みな子(国立音楽大学教授)
072「南カリフォルニアの「日系企業城下町」」佃陽子(成城大学准教授)
078「軍靴からサンダルへ――日系インドネシア人一世の生涯」伊藤雅俊(日本大学助教)
086「移民の送り出し側から、受け入れ側へ――みんぱくの日本展示「多みんぞくニホン」セクション」菅瀬晶子(国立民族学博物館准教授)
088「神を招き、神と遊び、神を活かす――広島県庄原市東城町・西城町の地祭」鈴木昂太(国立民族学博物館助教)
096 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第5回
「台湾先住民セデックと三つの織り機」田本はる菜(成城大学専任講師)

編集後記

 いまや広辞苑でさえ「競争社会における勝者/敗者」と解説する「勝ち組と負け組」。原義は、根川論考の注の通り、第二次世界大戦後、ブラジルの日系人社会を二分し、二十余名の死者まで出した二年におよぶ抗争で生まれた言葉。この混乱は現地の反日感情を招き、その結果ブラジルへの永住を決意した二世が一気に増えたそうです。
 それまでの日本には、移民に寄り添う移民政策はなく(現在もそうかも)、棄民政策のみ、という捉え方もあります。人口過多の日本と労働力不足の相手国、双方の思惑一致で結ばれた官約、向かった先で辛酸をなめた人びと、大戦終結時に元敵国の現地に取り残された悲惨な経験など、日系移民という言葉に、私は暗いイメージをもっていました。一九八〇年代以降の出稼ぎ移住も、結局は、雇用側の都合でいつでも切れる労働即戦力という位置づけだったのでしょうか。本号の特集は、そうした歴史に翻弄されつつ、どっこい生きてきた日系移民の方々へのエールです。
 日系については、小嶋論考が示す定義の多様性に驚きました。原則は血統ですが、徐々に本人の選択に委ねられるように変化してきた点は、豪州などで「先住民」認定が本人の意識を重視するようになったのと、同じ流れでしょう。 そもそも、血統にこだわる社会は、生きやすいのでしょうか。しばしば排他的な運動に結びついた歴史があるし、また、混血した人びとは、差別され、帰属意識に悩み、教育の面でも苦労します。ほんとうは、複数の文化の橋渡しができる、異文化の共生にとって貴重な存在なのに。城田論考のミグリチュードのように、混血が進んだとき、遠い祖先の一人が日本人ということは、あまり意味をもたなくなるかも知れません。
 私が思うに、自分が共感する集団やコミュニティが帰属意識の源であり、だれでも複数のコミュニティに属しているので、血統にこだわらず、みずからが属すると考える複数のコミュニティに対しアイデンティティを感じるのが宜しいのではないか、さらには、私たちはすべて地球人とみなし、その認識の下で互いを認め合う社会の到来。新年、私はそんなことを夢想したのです。 最後になりましたが、新年早々、能登半島地震により亡くなられた方々、被災された方々に、心よりお悔やみとお見舞いを申しあげます。
(編集長 久保正敏)

 

2024(令和六)年1月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

『季刊民族学』は「国立民族学博物館友の会」の機関誌です。
「国立民族学博物館友の会」へご入会いただければ定期的にお届けいたします。