季刊民族学182号 2022年秋

特集 モンゴルの写真家インジナーシの世界

 従来、アジアの国々は先進国の研究者や写真家によってまなざされ、写真記録が多く残されてきました。しかし現在、そうした国々でもみずからの社会の姿を鋭く切り取り発信する写真家たちが出てきています。本特集は、そのような一人、モンゴル気鋭の写真家 B. インジナーシ氏の作品を紹介しながら、従来の人類学者や写真家が撮影したモンゴル像と何が異なるのかを考察していきます。

目次
000 表紙「ホトゴイトの女性」写真:B. インジナーシ(写真家)
001 目次
002 表紙のことば 文:島村一平(国立民族学博物館准教授)
003 特集 モンゴルの写真家インジナーシの世界
004 「はじめに 特別展『邂逅する写真たち』と写真家インジナーシ」島村一平
008 「ウランバートル~北京~大阪」撮影:B. インジナーシ
022 「インジナーシの肖像」島村一平
030 「インジナーシのまなざしにみるモンゴル社会の光と影」B. インジナーシ/港千尋(写真家)/川瀬慈(国立民族学博物館准教授)/島村一平
044 「内から見たリアルと外から見たリアル」B. インジナーシ/清水哲朗(写真家)/島村一平
056 「二十四年ぶりのモンゴル展」万城目学(小説家)
060 「民博グラック・コレクション収集者 ジェイ・グラックの足跡を辿る」黒田賢治(国立民族学博物館助教)
068 「マウルクッは生きている――韓国全羅道の村祭りの現在」神野知恵(人間文化研究機構人文知コミュニケーター・国立民族学博物館特任助教)
076 「ウクライナの歴史と文化――ロシアとのかかわりのなかで」伊東一郎(早稲田大学名誉教授)
084 連載 モノから見た宗教の世界 最終回
「祈る、奏でる、歌う、再生する――信仰と音声再生機」長嶺亮子(沖縄県立芸術大学芸術文化研究所共同研究員)
092 連載企画「モノから見た宗教の世界」最終回にあたって
「拡がる消費と宗教的なモノ」八木百合子(国立民族学博物館准教授)
094 シリーズ 焼畑を再考する②
「焼畑から考える日本社会の未来」
野本寛一(近畿大学名誉教授)/川野和昭(元鹿児島県歴史・美術資料センター黎明館学芸課長)/池谷和信(国立民族学博物館教授)

編集後記

 今号でウクライナの歴史と文化を解説しておられる伊東一郎氏、若い頃民博におられた氏の澄んだテノールを懐かしく思い出します。複雑で難解なウクライナ史解説によって得心したのが、黒海へのアクセスの有無。大西洋にもつながるルートがロシアの欲望の源か、と近年よく耳にする「地政学」が少しわかった気がします。
 地続きの大陸では、国境線がひんぱんに移動し、政治に翻弄されてきた人びとの苦労と、それに立ち向かうたくましさは、島国日本人には想像もおよびません。小松左京の『日本沈没』(光文社、一九七三年)は、海に守られひ弱な日本人が大陸に放りだされたらどうなるか、という思考実験を始めたところで終わってしまいましたが。
 今号の特集は、今春の特別展の振り返り。撮る者、撮られる者、見る者、の三角関係を生み出す写真について、撮影者、主催者、鑑賞者が写真展を再考し、それを読者がともに考える、という構図は、写真を多く掲載する『季刊民族学』にまさにうってつけ、と自賛した次第。
 この写真展のテーマのひとつは他者表象。メディア論が繰り返し語ってきたように、カメラのまなざしは撮る者と撮られる者との関係を確実に暴露すること、そして、植民地が拡大した一九世紀以降、いわゆる「旅行写真家」たちの写真などが、異文化に対して西欧の抱くイメージを増幅するのに加担してきたことを、この写真展でも再確認できました。
 それに対し自己表象の旗手インジナーシ氏の写真は、見る者に「社会の矛盾を伝え、少数者の声を伝える」のが基本。矛盾の解決方法を示唆するのもまた、氏の生い立ちで培われた、温かいまなざしに他なりません。それが伝わるからこそ、氏の写真が共感をよぶのでしょう。
 もうひとつのインジナーシ氏のテーマは、都市に集住するモンゴルの現実。ただ、都市に集住する人びとも、矛盾が高まり住みづらくなれば気楽にすみかを替える柔軟さをもっているのでは、とも思います。遊牧文化が根っこにあるモンゴルの人びとには、土地に固着しようとする日本人にはない、豊かな発想があるのではないでしょうか。それはウクライナ問題とも、重なってみえます。
(編集長 久保正敏)

 

2022(令和四)年10月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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季刊民族学181号 2022年夏

特集  沖縄――今に生きる記憶

 今年は沖縄が日本に復帰して50年という節目です。今日までの日本あるいは世界との複雑な関係性は、沖縄に、本土にはない重層的な社会や文化を醸成してきました。本特集では、沖縄の人びとの暮らしや信仰、芸能・文化をとりあげ、「沖縄の今」を形づくる人びとの記憶に迫ります。

編集後記

 「六・二三」は、私のような団塊世代にとって、特別な響きをもちます。一九六〇年に改定された日米安保条約の発効、一〇年後の自動延長も六月二三日、反安保闘争と結びつきますが、他方、一九四五年の同日は、沖縄における日本軍の組織的戦闘が終わった日であることから、米国統治下の一九六一年の沖縄で休日「慰霊の日」とされました。当時の若者たちとって、六・二三とは、反戦平和の記念日だったのです。
 思い返せば、一九六〇年代は、世界的な「異議申し立て」の時代でした。近代的価値観、科学技術万能主義、進歩史観などへのアンチテーゼとして、オルタナティブ方法論、ポストモダン思想の動きなど、世界史的な一大画期でした。植民地からの独立運動、先住民や黒人の人びとの人権回復運動、ウーマンリブ、反核運動、ベトナム反戦、大学紛争、プロテスト・フォークやヒッピー運動など対抗文化の動き、反公害運動、エコロジー運動、などが思い出されます。
 そうした流れのなか、私にとって沖縄の情報源は、大江健三郎氏の『沖縄ノート』(岩波書店、一九七〇年)でした。読みにくい文体で告発される、薩摩藩、明治政府、沖縄戦など日本の仕打ち。沖縄戦では日本軍は民間人にも戦陣訓どおり自決を強いた結果、亡くなった日本人一九万人のうち九万人余は一般市民、県民の四人に一人が亡くなったのです。それを知った当時の私は、物見遊山では沖縄に出かけまい、と決めたのでした。
 しかし、本号特集の岸論稿は、そうして「他者」というラベルを貼ることで、本当に沖縄を知ることができるのか、と問いかけ、生活史を記録する意味を突き詰めます。私たちはつい、「他者」をつくり出したい願望にかられる、という指摘には、ハッと胸を衝かれます。また山内論稿が指摘するように、基地と伝統文化だけで沖縄を語ってはならないのでしょう。
 しかし、私がもっとも感動したのは、藤本論稿の最後、「小さな島をとおしてみえる世界は限りなく広く、深い魅力に満ちている」という結言でしょう。大きな国が小さな国を小さな根性で苦しめている現在、このことばは、心に深く響きます。(編集長 久保正敏)

 

2022(令和四)年7月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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季刊民族学180号 2022年春

特集 嗜好品――つくる・映える・やみつきになる

 嗜好品といえばコーヒーや茶、煙草などが思い浮びますが、世界には、それらの枠組みでは捉えきれない嗜好品があります。SNSを中心に若者のあいだで流行したエナジードリンクや中国のローカルな生活文脈でみる粽などがその一例です。本特集ではさまざまな嗜好品を、それらが浸透している社会や文化と照らし合わせて再考します。コロナ禍の今だからこそ、私たちの心を満たし、暮らしを豊かにするものとは何か、「嗜好品」という視点から考えてみませんか。

編集後記

 特集テーマの嗜好品、その定義はむつかしく、広げればどこまでも広がるので、あえて狭めたと、大坪氏が述べておられるとおり、本号は、煙草も含む経口物に限定して、各地域での実例をとおして文化を語る論考集になっています。 私からみると、これら経口物の効果は、向精神効果と、情報論的な効果に大別できそうです。
 前者は、神経に作用する薬効ですので、依存性をともなうと、中毒、健康障害、ドーピングと、ヤバイ世界につながります。一方、そうした嗜好品は、有力な換金作物であることが多く、現地収入源であったり、産業化するなど、多くの問題をはらむ存在。しかし、薬効をむやみに危険視して非合法化するとその隙間を埋めるのが反社会勢力であるのは、一九二〇年代の「禁酒法」が好例。危険性より薬効が大きいならば、いっそ合法化するほうが良い、とオランダなどで大麻合法化が進んでいますね。
 後者は、社会性を共感したり、見栄を張ったり(ヴェブレン効果=見せびらかしたい心理を利用する消費効果)、他人と異なる地位にあるのを誇る「クラブ財」効果、普段とは異なる五感の刺激効果、などでしょうか。習慣性を帯びてくると問題になるのは、向精神作用のある物質と同じです。
 いずれの効果も、結局は脳細胞の働きによります。ホルモンを分泌して脳をだまし、火事場の馬鹿力を発揮する生存本能が備わっているわけですから、それと同じように、嗜好品とは脳をだます世界、梅棹忠夫流情報論そのものかも知れません。
 ところで、現今の理不尽極まりないロシアのウクライナ侵攻、読者諸賢も二一世紀の今日こんな事態が起きようとは思いもされなかったでしょう。今回は情報戦がキーのひとつ、SNSが活躍して戦場の悲惨な様子が西欧側には伝わったのですが、ロシアの人びと、とくに年配の方々には情報統制が徹底し大本営発表のみが浸透しているようです。これも、脳は容易にだまされる証拠でしょうか。万事に対し自分なりの判断基準や不動点をもち、それを支え不断に更新する情報収集能力が試される時代だ、とクリミア併合やチェチェン侵攻には無関心だったことへの自戒もこめて、痛感します。私たちに何ができるのでしょうか。 (編集長 久保正敏)

 

2022(令和四)年4月30日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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季刊民族学179号 2022年冬

特集 働くことと生きること

 昨今、働き方改革やコロナ禍により、多様な働き方が提案されています。そもそも、働くことは人生にとってどんな意味をもっているのでしょうか。諸民族の働き方や、仕事についての考え方に、そのヒントを探ります。

編集後記

 本号の特集は仕事を考えること。私のような世代ですと、つい『賃労働と資本』とか、映画『モダン・タイムス』を思い出します。これも、近代化が、家庭と仕事、家事と仕事、住まいと仕事を分離し、男女の役割を固定化してきた思考に染まっていたからでしょうか。本特集では、こうした固定観念を問い直すさまざまな事例が紹介され、ヒトはなぜ仕事をするのか、あらためて振り返る機会になります。
 欧米、とくに北欧で進んでいる働き方の変革に対応し、多様な働き方を導入する「働き方改革」が日本で喧伝されるようになったのが2018年、労働人口の減少、過労死への対処が意図とされますが、労働時間短縮の一方専門職は時間制約がないなど、問題点も指摘されました。
 しかしこのコロナ禍は、一挙に働き方に変化を強いました。会議はオンライン、自宅でテレワーク、都心のオフィスは縮小、などが進んだ反面、非正規雇用の方々が職を失うなど経済格差が広がり、さらに忘れてならないのは、対面でないと不可能な医療、介護や接遇、都市の清掃や物流業務など、電子情報だけでは決して成立しない業種が世の中には必須であり、しかもそれを担う人たちは、罹患のリスクや給料の低さなど、割を食っていることです。こうしたエッセンシャル・ワークを宇沢弘文氏は、利益を求める市場原理に決して乗せてはならない「社会的共通資本」とよびましたが、その重要性にあらためて気付かされました。
 また、コロナ禍であらためて気付いたのは、コミュニケーションの語源であるラテン語「コムニス」が場の共有を意味することをふまえると、これこそが、近隣のつながり、弱者への思いやりも含めて、人間社会の基本だったという事実でしょう。場を共有する文化芸術活動が不要不急とされたのは、コミュニケーションを否定するに等しい行為だったわけです。
 パンデミックに対抗し、如何にして人間社会の本質を維持していくことができるか、本年もそうした挑戦が続きそうです。
 昨年、皆様のおかげで公益認定を得た当財団も、公共とは何か、共通資本に貢献するにはどうするか、考えていきたいと思います。(編集長 久保正敏)


2022(令和四)年1月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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