106号 2003年 秋


モスクでコーランを読む老人
写真・大村次郷/文・編集部

特集 イブン・バットゥータの旅
14世紀のイスラーム世界

コロンブスは、まだアメリカ大陸に到達していない。ヴァスコ・ダ・ガマは、まだ喜望峰をこえていない。そんな14世紀という時代に、モロッコからひとりの男が旅にでた。メッカ巡礼、それが旅の目的だった。念願のメッカ巡礼を果たしたのちも、男の旅はつづいた。あるところでは妻をめとり、あるところではスルタンに仕官する。それでも旅はつづいた。旅をささえた男の情熱の源泉とはなにであったのか。旅を可能にしたイスラームのネットワークとはいかなるものであったのか。われわれも旅立とう、もうひとつのグローバリゼーションの世界へ

旅の時空に生きる
イブン・バットゥータの生涯とその時代
 家島 彦一
ヴェネツィア生まれのマルコ・ポーロといえば、モンゴル帝国時代の東西世界を結んだ旅行家としてあまりに有名な人物であるが、彼の旅行から半世紀ほどのちの14世紀前半、西欧を除くユーラシアとアフリカの既知の世界のほぼ全域を踏破した男がいた。ベルベル系のイスラーム教徒イブン・バットゥータである

南半球ワイン紀行2 ニュージーランド篇
新世界に生まれた「旧世界」的ワイン

森枝 卓士

南半球のワインといえば、「新世界ワイン」という言葉でひとくくりにされてしまいがちである。しかし、そんなに単純ではないのだと実感させてくれたのが、ニュージーランドのワインだった……

現代を生きる少数言語 NO.7 韓国語・朝鮮語
チャンポンマルの解放区 在日一世のことば

文・庄司 博史
写真・尼川 匡志

スティールバンド・ムーヴメント

冨田 晃

カリブ海トリニダード島のカーニバル文化のなかから生まれた育ったスティールパン。ドラム缶からつくられた究極の廃物利用アートが、いま、世界で鳴り響く

イメージのなかの政治
視覚化されるヒンドゥー・ナショナリズム

中島 岳志

政治集会、街角のポスター、選挙のたびにばらまかれるグリーティング・カード、キーホルダーやバッジなどのグッズ類。そこには、さまざまな図像があふれている。それらをとおして、ヒンドゥー・ナショナリズム運動の危険性を指摘する

 

105号 2003年 夏


トリニダードのカーニバル
冨田 晃

特集 カリブ海世界、終わりなき変容

カリブ海世界は、コロンブスの「発見」を契機に奴隷制プランテーションの植民地として形成された。複数の大陸からディアスポラ(故郷離散)してきた人びとが混じりあうなかで形成されたその文化は、当初からグローバル性を帯びていた。「混交」から生まれ、つねに変容し、創造の課程にある文化の現在

カーニバル 陶酔と熱狂のトリニダード  文・ 冨田 晃
華やかな仮装パレード〈マス〉、批評的大衆歌謡〈カリプソ〉とその現在形〈ソカ〉、そしてドラム缶から生まれた愉快な楽器〈スティールパン〉。この3要素が、独立し、あるいは絡みあい、壮大なトリニダードのカーニバルを構成している

カリブ海世界 ディアスポラとクレオールの島じま 石塚道子
飛び石状にならぶカリブ海の島じまは、古来南北の大陸の人びとが出会い、ゆるやかに混交しながら移動していく通路の役割を果たしてきた。しかし、15世紀末以降のヨーロッパ人による奴隷制プランテーション植民地化は、この地域の様相を一変させた。生態系の改変、人間と文化の複雑な混交。カリブ海地域は世界経済システムの内部に組み入れられた最初の周辺だった

精霊たちと交わる瞬間 ハイチのヴォドゥ 佐藤 文則/文・荒井 芳廣
カリブ海の黒人共和国ハイチ。奴隷たちがもちこんだアフリカの精霊信仰がこの地で変容を遂げ、ヴォドゥとなった。ミステリアスでカルト的なイメージの向こうで、ハイチの人びとの生活に根づいた民衆信仰の姿を追う

 

「信」のゆくえ 冷戦後キューバの宗教復興 大杉 高司/写真・長嶋 義明
1989年のコメコン体制の崩壊は、キューバ経済に決定的な打撃を与えた。経済の二重化、価値体系の動揺とともに、サンテリーアとよばれる宗教の復活が進む。その背景にある「信」の物質性とは

新連載 南半球ワイン紀行
「美味しい」オーストラリア

森枝 卓士

その地の食文化との関連で、ワインがある。だから、ワインはおもしろい。もともとブドウなどなかった地域、南半球のワインをたずねる。そこであたらしく生まれたワインから、あたらしく生まれる食の文化を考えたいのだ

アジア系アメリカ人運動と博物館
ニューヨークの南北アメリカ華人博物館

文・園田 節子

「洗濯業に歴史なんぞないわ!歴史なんぞ!」。痩せこけて疲れきった男は、かたことの英語で荒々しく叫んだ。洗濯業はまさに、ニューヨークのチャイナタウンにくらす中国移民たちの「辛酸をなめた」無数の経験の具現だった。コミュニティ問題の解決にむけて、収集、展示、そしてエスニック運動にとりくむ博物館活動の報告

104号 2003年 春


琵琶湖の漁師
文・編集部
写真・土村清治

特集 フナズシの民族学

琵琶湖特産のフナズシ。水田稲作の伝来とともに日本にはいってきた淡水魚の保存食が、そのまま現代まで受け継がれた希有な例だ。その起源は、さらに東南アジア大陸部にさかのぼるという。フナズシはたんなる伝統食品ではない。人類の食の営みの奥深さを示唆すると同時に、人間に環境との新たな関係をせまる象徴的な意味合いも帯びはじめた。フナズシの問いかけに耳をすませたい。

琵琶湖 人と魚の小宇宙 文・堀越 昌子/写真・土村 清治
琵琶湖のまわりに人間が住みはじめたのは、数万年前のことだ。縄文時代には。さかんに漁撈活動がおこなわれていたことが知られている。深く長い湖と人間のかかわりを、もういちど見つめ直したい

スシの原型をもとめて 石毛 直道
日本食の代表として世界に知られている「スシ」は、すでに各国で独自の形に変化しつつある。われわれがいま食べているスシも、何度かの変遷を経たものだ。保存食から即席料理へとその性格も変化した「スシ」の歴史をたどる

ナレズシは淡水魚の漬物 文・奥村 彪生/写真・堀越 昌子、日野 光敏
東南アジアの平野部で生まれた淡水魚の保存技術は、稲作とともに海をわたり日本へとつたられた。やがて国内各地でその地の産物をとりいれて、ナレズシの多彩なバリエーションが展開する

魚が島なす湖 文・井戸本 純一/写真・土村 清治
フナズシには、琵琶湖やそこにすむ魚たち、周辺の陸地やそこに人びとが築きあげてきた「共働」の長い歴史が刻まれている。湖の再生は、いちど分断されたこれらの共働をふたたび取りもどせるか否かにかかっている

漁では魚に教えてもらうことばかり 保智 為治

愛しき琵琶湖の魚たち 今森 洋輔
机での作業に区切りがつくと、すぐに筆を置き野外に出掛けていく。春先の漁港に吹き込む風は、水草の青い匂いと魚の匂いが混ざりあって独特の香りがする。それは琵琶湖特有の匂いだ。琵琶湖はきょうも青く美しい。けれども…

湖の幸を食す 文・堀越 昌子/写真・土村 清治
人びとの琵琶湖と湖魚への思い入れは深く、湖魚料理の種類もおおい。滋賀県は琵琶湖のおかげで、日本でもっとも淡水魚利用が発達した地域といえる

フナズシ 魚とコメの出会いが生んだスローフード 文・堀越 昌子/写真・土村 清治
子どものころから、お腹をこわしたり風邪をひいたとき、また正月や祭りの日にも食べてきたフナズシは、滋賀の人びとにとってふるさとの特別な味である。しかも、頭から尾っぽまで丸ごと食べられ、消化しやすく、整腸作用と高い抗菌力をもつ完全食品でもある

淡海の国は今日の御厨 文・奥村 彪生/写真・土村 清治、堀越 昌子
近江地方は古くから食の宝庫であった。琵琶湖や川で獲れる淡水魚のみならず、平野部や山里からも四季折々に、ゆたかな実りと収穫がよろこびをもたらした。鯖街道を運ばれる海産物も加わり、それらは京の都で洗練された味覚へと生まれかわる

スシは寿司を越え、SUSHIとなった 森枝 卓士
オーストラリアの片田舎、南アフリカのケープタウン、チリのサンチャゴにむかう飛行機のなか…、いまや世界のいたるところで出会うスシ。しかしそれはすでに寿司ではなく、土地土地で変容をとげた、インターナショナルな食べものとしてのSUSHIだった

第三回世界水フォーラムによせて
水と京文化

文・熊倉 功夫/写真・中田 昭

京都の名物といえば水。第一は鴨川、桂川、宇治川などで知られる川の水。第二は東山の山すそのいたるところから湧きでる湧水。これら京の名水からゆたかな京文化が生まれ、今日まで脈々とはぐぐまれてきた

103号 2003年 新春


ワサフの聖堂前の広場
北野 謙

特集 植民地時代アンデスの教会美術

岡田 裕成、齋藤 晃(責任編集)

アンデスの文化といえば、ティワナコやインカに代表される古代文明、その壮大な遺跡を想像する人がおおいだろう。しかし、今日のアンデスの暮らしの風景のなかで、より大きな存在感をもつのは、篤い信仰を集めるキリスト教の聖堂である。山深い谷あいの集落にも、標高4000メートルの高原の果ての村にも、聖堂はある。16世紀に突然やってきたスペイン人によって征服されて以来、アンデスの文化は大きく変容した。キリスト教聖堂は、その目にみえる象徴だ。広大なアンデスの地に残る聖堂のおおくは、厳しい高地の風土のなか、ひっそりと集落に寄り添っている。そこを飾る装飾も、概して素朴で民衆的である。長らく研究者の立ち入りさえ稀であったアンデスの聖堂の、ユニークな装飾美術をここに紹介する。

標高4000メートルのキリスト教聖堂
大橋哲郎、北野 謙(写真)/岡田 裕成(写真・文)

アンデスの聖堂装飾と植民知的イマジネーション 岡田 裕成
アンデス高地の各地に残るゆたかなキリスト教美術の遺産の数々。それらは魂とイマジネーションの領域において、強大な他者の存在と対峙せざるをえなかった植民地の複雑な状況のなかで花開いたものだった

山に住む人魚たち 加藤 薫
西欧でも先住民社会でも、人間にとってネガティブな存在となっていた人魚が、17世紀のアンデスであらたな意味と棲息場所を獲得した。標高3000~4000メートル級の高地に大量かつ多様な人魚像が生みだされた、その背後にあったものは何か

海を渡ったバルゲーニョ 齋藤 晃
ボリビアの博物館の片隅にひっそりと座するいにしえの書箪笥バルゲーニョに、スペインと新大陸の植民地が交差し、絡み合った歴史の軌道をみる

聖体祭 クスコの宗教的祝祭 ホルヘ・A・フローレス・オチョア(文)/岡田 裕成(翻訳) 都市においても、村落においても、アンデスではカトリックの祝祭が生活の重要な部分をなしたし、それはいまも変わらない。クスコの聖体祭は、そのはじまりからすでにバロックの精神を宿すものだった。バロックの芸術は、信仰を礼賛し教養を擁護する手段としての働きの場を、アンデスの地に見出したのである

危機に瀕する教会美術 齋藤 晃
装飾がはぎとられた祭壇、からっぽの壁龕、額絵がはがされた壁の跡。ボリビアの教会美術はいま、深刻な東南の被害にさらされている。その現状を報告するとともに、保全に向けての試みを紹介する

聖堂壁画の修復と保全
エドガル・ラミロ・メンディエタ、ファン・カルロス・ヘミオ・サリーナス(文)/岡田 裕成(翻訳)

水の文化、その多様性
水文化の多様性を抜きに、水問題の解決はありえない

阿部 健一

人が生きていく上で、欠かせない水。人は、生活のいたるところで、水とかかわり、そのかかわり方は、民族民族によりさまざまである。それを、水の文化と読んでみよう。歴史と地域が作り上げた、水を軸とした文化。水の文化は多様である。国際社会が取り組むべき共通の課題としての水問題を議論し、行動に移すための会議「第3回水フォーラム」が本年3月、京都・大阪・滋賀を会場に開催される。

創刊25周年記念企画・四半世紀ののちに4
国家を生きる狩猟採集民
オーストラリア・アボリジニの生活戦略

小山 修三

一連のプロセスを考えて、実行し、成功してからでないと食糧にありつけない。これが狩猟採集という生活スタイルの本質であろう。伝統と近代化の融合によって成立している現代の狩猟採集社会を、オーストラリア・アボリジニにみる