104号 2003年 春


琵琶湖の漁師
文・編集部
写真・土村清治

特集 フナズシの民族学

琵琶湖特産のフナズシ。水田稲作の伝来とともに日本にはいってきた淡水魚の保存食が、そのまま現代まで受け継がれた希有な例だ。その起源は、さらに東南アジア大陸部にさかのぼるという。フナズシはたんなる伝統食品ではない。人類の食の営みの奥深さを示唆すると同時に、人間に環境との新たな関係をせまる象徴的な意味合いも帯びはじめた。フナズシの問いかけに耳をすませたい。

琵琶湖 人と魚の小宇宙 文・堀越 昌子/写真・土村 清治
琵琶湖のまわりに人間が住みはじめたのは、数万年前のことだ。縄文時代には。さかんに漁撈活動がおこなわれていたことが知られている。深く長い湖と人間のかかわりを、もういちど見つめ直したい

スシの原型をもとめて 石毛 直道
日本食の代表として世界に知られている「スシ」は、すでに各国で独自の形に変化しつつある。われわれがいま食べているスシも、何度かの変遷を経たものだ。保存食から即席料理へとその性格も変化した「スシ」の歴史をたどる

ナレズシは淡水魚の漬物 文・奥村 彪生/写真・堀越 昌子、日野 光敏
東南アジアの平野部で生まれた淡水魚の保存技術は、稲作とともに海をわたり日本へとつたられた。やがて国内各地でその地の産物をとりいれて、ナレズシの多彩なバリエーションが展開する

魚が島なす湖 文・井戸本 純一/写真・土村 清治
フナズシには、琵琶湖やそこにすむ魚たち、周辺の陸地やそこに人びとが築きあげてきた「共働」の長い歴史が刻まれている。湖の再生は、いちど分断されたこれらの共働をふたたび取りもどせるか否かにかかっている

漁では魚に教えてもらうことばかり 保智 為治

愛しき琵琶湖の魚たち 今森 洋輔
机での作業に区切りがつくと、すぐに筆を置き野外に出掛けていく。春先の漁港に吹き込む風は、水草の青い匂いと魚の匂いが混ざりあって独特の香りがする。それは琵琶湖特有の匂いだ。琵琶湖はきょうも青く美しい。けれども…

湖の幸を食す 文・堀越 昌子/写真・土村 清治
人びとの琵琶湖と湖魚への思い入れは深く、湖魚料理の種類もおおい。滋賀県は琵琶湖のおかげで、日本でもっとも淡水魚利用が発達した地域といえる

フナズシ 魚とコメの出会いが生んだスローフード 文・堀越 昌子/写真・土村 清治
子どものころから、お腹をこわしたり風邪をひいたとき、また正月や祭りの日にも食べてきたフナズシは、滋賀の人びとにとってふるさとの特別な味である。しかも、頭から尾っぽまで丸ごと食べられ、消化しやすく、整腸作用と高い抗菌力をもつ完全食品でもある

淡海の国は今日の御厨 文・奥村 彪生/写真・土村 清治、堀越 昌子
近江地方は古くから食の宝庫であった。琵琶湖や川で獲れる淡水魚のみならず、平野部や山里からも四季折々に、ゆたかな実りと収穫がよろこびをもたらした。鯖街道を運ばれる海産物も加わり、それらは京の都で洗練された味覚へと生まれかわる

スシは寿司を越え、SUSHIとなった 森枝 卓士
オーストラリアの片田舎、南アフリカのケープタウン、チリのサンチャゴにむかう飛行機のなか…、いまや世界のいたるところで出会うスシ。しかしそれはすでに寿司ではなく、土地土地で変容をとげた、インターナショナルな食べものとしてのSUSHIだった

第三回世界水フォーラムによせて
水と京文化

文・熊倉 功夫/写真・中田 昭

京都の名物といえば水。第一は鴨川、桂川、宇治川などで知られる川の水。第二は東山の山すそのいたるところから湧きでる湧水。これら京の名水からゆたかな京文化が生まれ、今日まで脈々とはぐぐまれてきた

103号 2003年 新春


ワサフの聖堂前の広場
北野 謙

特集 植民地時代アンデスの教会美術

岡田 裕成、齋藤 晃(責任編集)

アンデスの文化といえば、ティワナコやインカに代表される古代文明、その壮大な遺跡を想像する人がおおいだろう。しかし、今日のアンデスの暮らしの風景のなかで、より大きな存在感をもつのは、篤い信仰を集めるキリスト教の聖堂である。山深い谷あいの集落にも、標高4000メートルの高原の果ての村にも、聖堂はある。16世紀に突然やってきたスペイン人によって征服されて以来、アンデスの文化は大きく変容した。キリスト教聖堂は、その目にみえる象徴だ。広大なアンデスの地に残る聖堂のおおくは、厳しい高地の風土のなか、ひっそりと集落に寄り添っている。そこを飾る装飾も、概して素朴で民衆的である。長らく研究者の立ち入りさえ稀であったアンデスの聖堂の、ユニークな装飾美術をここに紹介する。

標高4000メートルのキリスト教聖堂
大橋哲郎、北野 謙(写真)/岡田 裕成(写真・文)

アンデスの聖堂装飾と植民知的イマジネーション 岡田 裕成
アンデス高地の各地に残るゆたかなキリスト教美術の遺産の数々。それらは魂とイマジネーションの領域において、強大な他者の存在と対峙せざるをえなかった植民地の複雑な状況のなかで花開いたものだった

山に住む人魚たち 加藤 薫
西欧でも先住民社会でも、人間にとってネガティブな存在となっていた人魚が、17世紀のアンデスであらたな意味と棲息場所を獲得した。標高3000~4000メートル級の高地に大量かつ多様な人魚像が生みだされた、その背後にあったものは何か

海を渡ったバルゲーニョ 齋藤 晃
ボリビアの博物館の片隅にひっそりと座するいにしえの書箪笥バルゲーニョに、スペインと新大陸の植民地が交差し、絡み合った歴史の軌道をみる

聖体祭 クスコの宗教的祝祭 ホルヘ・A・フローレス・オチョア(文)/岡田 裕成(翻訳) 都市においても、村落においても、アンデスではカトリックの祝祭が生活の重要な部分をなしたし、それはいまも変わらない。クスコの聖体祭は、そのはじまりからすでにバロックの精神を宿すものだった。バロックの芸術は、信仰を礼賛し教養を擁護する手段としての働きの場を、アンデスの地に見出したのである

危機に瀕する教会美術 齋藤 晃
装飾がはぎとられた祭壇、からっぽの壁龕、額絵がはがされた壁の跡。ボリビアの教会美術はいま、深刻な東南の被害にさらされている。その現状を報告するとともに、保全に向けての試みを紹介する

聖堂壁画の修復と保全
エドガル・ラミロ・メンディエタ、ファン・カルロス・ヘミオ・サリーナス(文)/岡田 裕成(翻訳)

水の文化、その多様性
水文化の多様性を抜きに、水問題の解決はありえない

阿部 健一

人が生きていく上で、欠かせない水。人は、生活のいたるところで、水とかかわり、そのかかわり方は、民族民族によりさまざまである。それを、水の文化と読んでみよう。歴史と地域が作り上げた、水を軸とした文化。水の文化は多様である。国際社会が取り組むべき共通の課題としての水問題を議論し、行動に移すための会議「第3回水フォーラム」が本年3月、京都・大阪・滋賀を会場に開催される。

創刊25周年記念企画・四半世紀ののちに4
国家を生きる狩猟採集民
オーストラリア・アボリジニの生活戦略

小山 修三

一連のプロセスを考えて、実行し、成功してからでないと食糧にありつけない。これが狩猟採集という生活スタイルの本質であろう。伝統と近代化の融合によって成立している現代の狩猟採集社会を、オーストラリア・アボリジニにみる

102号 2002年 秋


半農半牧民ハマルの少年
船尾 修

ハマル
グローバリゼーションのなかで

船尾 修

アフリカ最後の聖域ともいわれるエチオピア南西部オモ川流域。中央政府の影響をほとんどうけることなく、今なお独自の生活を営んでいるといわれるこの地域にも、グローバリゼーションの波は確実に打ち寄せている。半農半牧民ハマルの現在

 

特集 探検記の誘惑 民族学者の魂をふるわせた25冊

いま民族学者として活躍する人たちに、どうして民族学を一生の仕事として選んだのかを質問すると、「一冊の探検記との出会いがあったから」と答える人がおおい。そこで編集部は、国立民族学博物館の研究者たちにアンケートを試みた。「あなたの魂をふるわせた探検記・旅行記はなんですか」と。そこで集まった数おおくの書物のなかから、友の会発足25周年にちなみ、25冊を厳選して紹介する。秋の夜長、一冊の本のなかで、地球の果てまで旅しよう

H・E・L・メラーシュ『ビーグル号の艦長』 艦長と博物学者と宣教師

阿部 健一(文・写真)/中村 征夫(写真)
ビーグル号による世界航海は、ダーウィンの進化論を生みだした探検としてあまりにも有名だ。しかし、その航海をみちびいたのは艦長フィッツ・ロイであり、宣教師マシューズも一役をになっていた

河口慧海『チベット旅行記』 100年前のヒマラヤ・チベット単独行

高山 龍三(文)/小松 健一(写真)
血を吐き、霰に打たれ、渇き苦しみ、あげくに凍死寸前。たび重なる苦難のなか、仏の加護を信じ、好奇心を忘れず行動した記録は、チベット・ネパールの民族誌の古典としていまも世界から高い評価をうける

鼎談 探検記は人類に何をのこせるか

本多 勝一/石毛 直道/松原 正毅
探検記、旅行記。ときに強烈なエキゾチズムを感じさせ、ときに大いなるアジテーションを喚起するこれらの記録は、営々として築き上げられてきた人類の足跡である。いま一度これを読み返し、時代を超え、空間を越えて読み継がれるべきその意義を三人のフィールドワーカーが語り合う

創刊25執念記念企画・四半世紀ののちに3
ユーラシアの激動
ソ連のアフガン戦争からアメリカのアフガン戦争まで

松原 正毅

いま世界で何がおきているのか。ユーラシア中央部の遊牧社会を対象とする著者のフィールドワークは、歴史的転回点である1979年以降、ときに世界の激動の波頭を目撃しながらおこなわれた。9.11事件以降いっそう現実味を帯はじめた、地域の破滅という最悪のシナリオを回避する手だてとは

101号 2002年 夏


パリのセネガル人
写真◎AFP=時事
文◎編集部

特集 国家/国境をこえて

国家をゆるがす、国境をこえようとするさまざまな現象が生起している。昨年9月11日の事件、そしてその後の国家対テロ組織の「戦争」、これらも、この流れのなかに位置づけられるべきものなのだろう。21世紀、人類はどのような方向をめざすのか。国家をこえた、民族をこえた、宗教をこえた共存原理を構築することができるのだろうか

境界の風景

渡辺 剛

見える事象をそのまま伝えられるという写真の特性をいかして、その互いにせめぎあう複数の風景をひとつに再構築し提示してみせる。それはそのまま、わたし自信の自己確認の作業でもある

いま、わたしたちが立っている場所
2002年版・21世紀の人類像

梅棹忠夫 × 小長谷有紀

「一見、地球の一体化がすすむようにみえて、しかし内容が分裂また分裂と、諸民族の実態的独立というところへすすんでいく」 1979年3月の講演で、梅棹忠夫は21世紀前半をこう予言した。そして2002年のいま、民族問題、グローバリズム、情報化社会のただなかにいるわれわれの21世紀を考える

近代日本国家の成立とアイヌ社会

菊池勇夫

日本とロシアのあいだの国境は、たかだか150年、千島における事実上の国境の成立からみても200年程度の歴史しかない。日本とロシアが出会う以前の時代に逆戻りはできないにしても、国境の壁をできるだけ低くして、隣人同士がいがみあう不幸な関係をただしていくことは可能だろう

弱さゆえに卓越する国家の暴力性

栗本英世

皮肉なことに、弱いにもかかわらす、いや、弱いからこそ、国家の暴力的な側面が卓越してくる。アフリカの国家の、相反するふたつの側面 ─ 弱さと融通無碍、つよさと堅固さ─ は、武力紛争や内戦と密接に結びついている

アメリカとメキシコの相克と対話

黒田悦子

国民が国境を越えて苦労しているのに、メキシコという国はいったいなにをしているのか。メキシコは北の大国の労働力提供国に甘んじようとするのだろうか。国が国民を守らないのなら、国は存在する価値があるのだろうか

歴史と政治のせめぎあう場所

谷川 清

社会主義精神文明の建設をスローガンにかかげ、国家統合をすすめる一方、「民族文化」の育成と発展を急ぐ中国政府。国家を挟んだ少数民族の生活圏をいかに保持し、それを国家の発展に結びつけるかどうかが鍵になる

政府を補完するイスラム教団

小川 了

ムリッド教団の人びとにとっては国境を飛び越すことなどなんともないようにみえる。他方で彼らはグローバル化の裏をかいているのではないかとも思える。グローバル化の波に乗って得た利益が、いわばローカルな教団を支え、そのことがセネガル「国民」の安寧に寄与しているのだ

近代世界システム論からみた21世紀

川北 稔

20世紀末から日本が経験している困難は、「不況」なのか「衰退」なのか。「衰退」はかならずしも「不幸」を意味するとは限らないし、「勃興」や「成長」もまた、かならずしも「幸福」を意味するわけではない。東アジアを主語として考え、そのなかでの日本の位置を考察することが、21世紀をみるうえでもっとも重要になるだろう

創刊25周年記念企画・四半世紀ののちに
サンゴ礁を旅して
オセアニア水産資源管理の25年

文/写真・秋道智彌

沿岸のサンゴ礁海域と沖合の表層部分に集中する南太平洋の水産資源。独立、近代化を果たし、経済のグローバル化の影響をまともにうけてきたオセアニア諸国は、土着の資源管理の衰退ないし揺らぎを経験している。未来をになう若い世代は、激動の海を乗り切れるだろうか

日本洋装史のなかの田中千代

高橋晴子

服飾デザイナーとしてのみならず、『服飾事典』の執筆、国内外の衣服関連資料の収集など、日本の洋装化のさまざまな面においての先駆者、田中千代。4,000点におよぶそのコレクションのなかでも、企業などの制服、改良服、国民服の数かずは、日本の洋装史を跡づける第一級の資料といえよう

在米ポーンペイ人の「9月11日」
カンザス・シティーのヤキュー大会

文/写真・ 清水昭俊

アメリカのどまんなか、カンザス・シティーでおこなわれた「野球」大会。ここで「野球」に打ち込んでいたのは、遠くミクロネシア連邦のポーンペイ州からきた人びとだった。彼らは野球を「ヤキュー」とよび、大会をおこなう9月11日は1945年のこの日、ポーンペイ島が日本統治から「解放」された記念日なのである

100号 2002年 春


未来の遺跡
写真◎福永幸治

特集 国立民族学博物館友の会25年の歩み

20世紀が、イデオロギーにもとづく政治システムの時代であったならば、今世紀は諸民族が自己を主張する時代といわれる。1977年に開館した国立民族学博物館は、豊富な民族学の研究成果を展示に反映させつつ、それまでにない新しい世界観を提示した。今日の混沌とした状況のなかで、その役割はますます重要性を増している。「国立民族学博物館友の会」は、国立民族学博物館と市民をむすぶ橋渡し役としてさまざまな活動をおこない、ことし25周年をむかえた。

人間賛歌 私たちは出会う

谷川俊太郎

対談
世界が民族学的知識をもとめる、いまこそ

石毛直道
梅棹忠夫

国立民族学博物館開館と同時に発足した「国立民族学博物館友の会」はことし25周年をむかえた。国立民族学博物館は当時、時代を先取りするあたらしいコンセプトと展示で注目をあつめ、同様に「友の会」も国内ではそれまでにないユニークな組織としてたくさんの会員から共感をいただき、活動を開始した。今日まで25年におよぶその活動をつうじて、民族学の普及、そして国立民族学博物館の支援団体として「友の会」が果たしてきた役割と意義を考える。

創刊25周年記念企画・四半世紀ののちに 1
「夜明けの大陸」アフリカの未来

米山俊直

内戦がつづくコンゴ(旧ザイール)、かつて調査したテンボ人の地域で、携帯電話など小型機器の電子部品に不可欠の金属タンタルが産出するという。1970年代、精力的にすすめたテンボ人研究は、地図の上では針金でついた小さい点のような少数民族の研究だったが、それは同時にアフリカ大陸、アフリカ人全体をみるための手段だった

メイキング・オブ・2002年ソウルスタイル

朝倉敏夫・佐藤浩司・笹原亮二

2002年春、民博にソウルが出現した。家族5人が生活する高層アパートの住宅、屋台がならぶ酒場の喧噪、儒教の国の伝統をうけつぐ小学校の教室、物売りの声で活気づく市場。おとうさん、おかあさん、おばあさん、そして子どもたち…。李さん一家をとおして、ソウルのいまを紹介する特別展「2002年ソウルスタイル」は、いかに実現したか

ソウルのくらしを「あるがまま」に
朝倉敏夫さんに聞く「2002年ソウルスタイル」展

ソウルに暮らす家族の生活財を一括収集し、あるがままに紹介する今回の展示は、李さん一家だったからこそ実現した。一家の住居を中心にひろがる展示空間がめざすもの

ものいわぬ物に生命の光りをともす
佐藤浩司さんに聞く「李さん一家の生活財調査」
物にはそこにあるべき歴史の必然があり、人にはその社会で生きているための存在理由がある。それが個人の可能性をおいもとめてきた今回の調査・展示をささえる基本理念だった

ソウルにあらわれた「日本」
笹原亮二さんが語る「近い隣の国、日本」展

韓日共同の展覧会は、企画段階からさまざまな意見の食いちがいが生じた。互いが考える「日本」像をめぐる紆余曲折。その準備作業をとおして両国がみたものとは

環境と文化を考える 最終回
カラハリ先住民の“静かな”戦い

池谷和信

先祖伝来の土地が自然保護区に指定され、近年、政府から移住勧告をうけたカラハリ先住民サン。動物こそが真の食べものとみなす彼らにとって、新興住宅地での生活はうまくいくのだろうか

編みから織りへ
牧畜民ラバリの手工芸

上羽陽子

先祖伝来の土地が自然保護区に指定され、近年、政府から移住勧告をうけたカラハリ先住民サン。動物こそが真の食べものとみなす彼らにとって、新興住宅地での生活はうまくいくのだろうか
※4回連続のシリーズ「環境と文化を考える」の最終回