113号 2005年 夏


ツフィの少年
文/写真・飯田 裕子

ヤイラで過ごすトルコの夏

南 真木人
本郷 一美

遊牧民ヘムシンとラズは、夏を迎えると、家畜をひきつれて3000メートル級の山の上で過ごす。ヤイラとよばれる夏営地での暮らしは、彼らにとって民族的アイデンティティを確認する特別な場所となる。ヤイラでの暮らしがトルコ人の原点といわれる由縁を探る

エイシュ・シャムシー
太陽のパン

奥野 克己

上エジプトの伝統的なパン、エイシュ・シャムシーは、経済活動の活性化にともない、ナイル川に沿って急速にひろがりつつある。ひとつのパンをとおして見えるイスラームの社会関係を考える

ムアンの歳時記 第3回
稲の恋する雨曇り

樫永 真佐夫
イラスト・栗岡 奈美恵

ベトナム、中国、ラオス、タイ、ビルマの国境をまたいで、タイ系民族の盆地世界、ムアンは点在している。その一つ、ムアン・クアイが雨季を迎えると、稲は人の手を離れて育ち、山野の幸が村の食卓を潤す。雨雲果つる9月はじめ、国慶節に村の若者たちは浮き足だっている。電化、情報化で、町がどんどん身近になり、緑豊かな村で家族が身を寄せ合っていた生活も変わりゆく。ベトナムの少数民族、黒タイ村落での暮らしを見つめるシリーズ第3回

黄土高原、日本人結婚式顛末記
地域に寄り添い、地域と動く

深尾 葉子
安 冨歩
写真・山 石

村びとたちは「現代的」な結婚式をあげ、その費用返済のために長期的な出稼ぎに出る。若者たちの意識改革に向けて、忘れられつつあった伝統的な結婚式を復活させようと、あるイベントが動きだした

 

極北家族
アラスカのエスキモーとアリュート

八木 清

はじめてのエスキモーの村への旅、それは5月初旬のことであった。前日に大学を卒業したばかりのわたしは、ニュートックという人口200人ほどのユピック・エスキモーの村へむかった

アマゾンの陶器生産
遺跡とグローバリゼーションのあいだで

古谷 嘉章
写真・橋本 文夫

ブラジル・アマゾンの先史文化については、同じ南米でもインカに代表されるアンデス地方に比べればほとんど知られていない。ここでいう「先史文化」とは、もちろん文字によって自分たちの記録を残していない文化という意味であり、歴史をもたない文化という意味ではない。そうした先史文化については、その姿を解明するために文字記録以外のものに頼ることになる。遺跡やそこから出土する土器は、その有力な手がかりである。しかし、そこに刻みこまれた意味をどのように読み取ることができるのか?考古学だけが、その唯一の方法というわけではない。

112号 2005年 春


バテッの少女
文/写真・阿部 健一

特集 生物の多様性、文化多様性

近年、生物多様性を持続させるためには文化の側面を考慮に入れるべきだという見方がひろまりつつある。生物と文化の多様性について、世界的な共通認識を構築するために、アジア、オセアニア、そして日本における人類学的、生物学的事例から考える

多様性に、人類学的祝福を 地域で考える自然と文化 阿部 健一
現代の貧困とは、グローバリゼーションによるさまざまな多様性の喪失である。多様なものがぶつかりあい、触発しあい、そこからあらたな創造が生まれる。多様性こそ創造の源泉である。人類と生物にとっての、真のゆたかさの意味を問い直したい

熱帯魚の海 秋道 智彌
水族館だけでなく、一般家庭でも飼育されるようになった熱帯魚。その美しさと可愛さゆえに人びとを魅了し、みる人をはるかなサンゴ礁の海へと誘う。わたしたちが水槽のガラスごしに観賞する魚。その魚を漁民たちはどのような思いで獲っているのだろうか。商品化によって、魚は大切な食料から貴重な収入源へと変わった。熱帯の海で起こっている人と生態系の変貌とは

一様化してゆく日本の食 佐藤 洋一郎
「デパ地下」の食材をみていると、現代日本はグルメブームの究極にあるといって過言ではない。しかし、それは世界じゅうの食材を買い漁った結果であり、日本の土地で生産される食材の数はどんどん減ってきている。家庭で消費される食材も、ここ何十年かのあいだにどんどん失われてきた。日本の食はどこにいくのか、食と大地とのかかわりを考える

漆と工芸品 日高 真吾・土村 清治
南蛮貿易において、ヨーロッパ人好みの装飾を施し、盛んに輸出された日本の漆器。江戸時代には簡略化した漆工技術が廉価な日用什器を生み、ひろく親しまれた。漆工品は芸術品であり、実用品である。とかく芸術的な面だけに目がゆきがちな工芸の世界だが、ひとつの産業であることを忘れてはいけない。海の向こうに原材料のおおくを求めざるをえない今日、伝統の技術はいかに受け継がれてゆくのか

ムアンの歳時記 第2回
春を告げる嵐

樫永 真佐夫
イラスト・栗岡 奈美恵

東南アジア北部の山あいでの話。タイ系民族の人びとは、米を作っている盆地世界それぞれをムアンとよんできた。かつて日本兵も遊んだムアン・クアイの山で、村びとたちは焼畑をひらき、掘り棒を使って植え付ける。夜半には雷雨が春を告げる。若者には恋の予感も__ギエップ村の暮らしを伝えるシリーズ第2回

民族文学の父クロイツヴァルトとエストニア人
未来を信じる力を与えるもの

小森 宏美

19世紀、エストニアの人びとのアイデンティティ形成に力をつくした啓蒙運動家クロイツヴァルト。彼の作品が民族覚醒の時代や独立戦争をへて、いまなお読み継がれる理由はどこにあるのか

クメールの伝統織物

写真・大村次郷

インドシナ半島では、イカットとよばれる絣織の技術がうけ継がれてきた。糸をしばって染色し、織りとする技法である。カンボジアの風土から生まれた黄金色の繭。紡がれた糸は自然の染料で染められ、優美な文様の布に織り上げられる。内戦で途絶えかかった伝統の技法は、いま復興へと動きだした

東南アジア織物文化におけるカンボジア チャム・マレー人の技術を中心に 岩永 悦子
精密な括り技術、発色と文様の美しさで、カンボジアの絹緯絣はアジアの絣でも群を抜く。クメール人によって受け継がれ、高められた染織技術。その絣の最高傑作のなかに、ごくまれにイスラーム的モティーフが登場する。イスラーム化した少数民族マレー系チャム人たちの優れた技術によるものである

次代につなぐ、営みとしての染めと織り 伝統の知恵を育む森の再生 森本 喜久男
カンボジア文化の至宝、古代寺院アンコール・ワット。壮大な石造伽藍がそびえ立つ古都シャムレアップの町で、いまクメール伝統織物が復興されている。技術の伝承だけでなく、素材となる木や植物を植え、森をつくり、そこで働く女性たちの自立をめざす。自然と人が一体となった「再生」のプロジェクトである

111号 2005年 新春


マルカパタ村のヨネちゃん
山本 紀夫

特集 人と自然との共生

人びとは地域に根ざした「在来の知」により、自然とゆるやかに接し、共生してきた。近年の高度な技術発展と大規模開発は、この人の営みと自然とを切り離してしまったのだろうか。アンデス、ヒマラヤ、そして愛知県矢作川をとおして、人と自然のゆるやかな関係を考える

現代に蘇ったインカの知恵 稲村 哲也
アンデスの草原を人びとは駆け抜ける。はるかインカ時代におこなわれていたビクーニャの追いこみ猟「チャク」の復活である。自然をゆるやかに管理し利用する古代の知恵が、現代社会に蘇ったのだ。その姿がわたしたちに告げているものは何であろうか

アンデスとヒマラヤにおける自然のゆるやかな管理 稲村 哲也 山本 紀夫
アンデスとヒマラヤ。この二つの高地には多様な自然環境が狭い範囲に凝縮されているという共通の特徴があるいっぽう、緯度の差などがもたらす、大きな違いがある。人びとは、それぞれの地域の環境に順応し、自然と共生してきたのである

ヒマラヤから矢作川へ 半栽培とやわらかな自然とのかかわり 文/写真・古川 彰 写真・横井 恭夫
ヒマラヤと愛知県矢作川。地理的にも文化的にも大きく隔たったこのふたつの地域を結び付けるものはいったい何であろうか。そこには、現代社会に生きる、人びとの共通した叡知がある。

水産資源の持続的利用を目指して 文・芝村 龍太 写真・横井 恭夫
川岸ではおおくの釣り人が糸をたらしている。ひさしくみられなかったこの光景は、流域住民の目にどのように映ったのだろうか。彼らは、長年にわたり、川との多様なかかわりの回復をめざし、さまざまな取り組みをおこなってきたのである

多国籍ベースボールの時代

杉本 尚次

かつてアメリカにわたった移民たちがみずからのアイデンティティを確認するかのようにベースボールに熱中した。現在では国境を越えて、さまざまな人びとがベースボールに夢を求めて、アメリカにむかう。

ムアンの歳時記
第1回 ムアン・クアイの正月

文・樫永 真佐夫
イラスト・栗岡 奈美恵

ゆるやかな川がせせらぎ、田んぼのむこうには緑なす青垣、西日本の田舎にもありそうな、そんな盆地風景に東南アジア北部のあちこちで出会うだろう。タイ系の人びとは、国境と関係なくそのひとつひとつをムアンとよんできた。おらがくに、ムアン・クアイでの人の生き方を折々の慣習と行事からたどる

中国・旅游熱潮
新三峡にみるツーリズム産業の隆盛

文・高山 陽子
写真・鎌澤 久也

長江の自然と史跡が織りなす絶景は、むかしから人びとに愛でられてきた。巨大ダムの建設によって流域の景観は変わっても、依然として長江をゆく船旅の人気は高い。しかしその水底にはおおくの史跡と暮らしの記憶が沈む

京の神饌

文・岩井 宏實 写真・土村 清治 山崎 義洋四季折々、自然からうけた恩恵を神に捧げる神饌。京都には名だたる神社がおおく、神事・祭礼に献供される神饌も多彩である。その饗宴を通じて人がねがったのは、神との一体感をたしかめることであった

110号 2004年 秋


カンダハルの町でたばこを売るハザラ人
安井浩美

特集 アフガニスタンの現在

写真・安井 浩美

いま地域紛争が頻発している。紛争の背景には、それぞれ地域固有の問題がひそんでいる。紛争への理解は、その地の歴史、風土、そして人びとの暮らしぶりを知り、継続的に関心をもちつづけることからはじまる。世界の目が中東地域やあらたな紛争にそそがれている現在、あらためてアフガニスタンをみつめなおす

アフガニスタンの位置 文・松原 正毅
ユーラシア中央部の内陸国アフガニスタン。建国以来、民族、宗教、政治的対立からさまざまな錯綜した事象が生みだされる地域であった。そこはまた、つねに巨大な権力が膨張する接点にも位置していた。

多様な民族と文化の十字路 文・遠藤 義雄

破壊された仏教遺跡バーミヤン 文/写真・ 山内 和也
2001年春、タリバン政権によるバーミヤン遺跡破壊の映像は世界につよい衝撃を与えた。アフガニスタンのみならず、人類にとっての文化遺産が、永遠に失われてしまったのである。

アフガン戦後3年の素顔 文/写真・ティムール・ダダバエフ
タリバン崩壊後、アフガン社会はどのように変化してきたのか。人びとは自由を取り戻すことができたのだろうか。

アフガンと世界をつなぐ架け橋 文/写真・ 桑名 恵 みずからのくらしを語る目は、プライドと前向きな輝きを放っていた。そこには、ほかの国の国内避難民キャンプでは感じられなかった、女性の凛としたつよさがあった。

パン・イン・ジャパン
日本におけるスティールパンの受容と普及

冨田 晃

スティールパン(別名スチールドラム)。日本では、このカリブ海生まれのドラム缶製打楽器が、コンサートホールで鳴ることはあまりなく、かといって発祥の地のようにカーニバル文化としてでもなく、「南の楽園」というイメージや「国際親善」「教育」「市民活動」」などの枠組みをとおして紹介・受容されている。そのときわれわれ日本人は、なにを消費し、なにを創造/想像しているのだろうか。

モンキーと吹き矢猟師
アマゾン、ワオラニリザーブ

池谷 和信

エクアドルアマゾンに暮らす先住民、ワオラニ。吹き矢猟を営む彼らの生活は、動物とペットを二分して考えるわたしたちには想像をこえるものであった。

南半球ワイン紀行 最終回
アンデス山麓のワイン王国

森枝 卓士

アンデス山脈と太平洋。自然の要塞に囲まれて、丈夫に育つブドウの苗木。100年の歳月を経ても、ゆたかな実りをみせている。ワイン王国チリは、良質で安定した生産力を誇り、世界の供給地として注目を集める

シンハラとタミル

写真・廣津 秋義

19年にもおよび、アジアでもっとも長い内戦といわれたスリランカ政府とタミル人武装勢力とのあいだの戦い。2002年9月からはじまった和平交渉は、その後、一進一退を繰り返している。そんななか、本年4月に総選挙がおこなわれ、対タミル強硬派の大統領派が勝利した。和平の行方はどうなるのか。シンハラとタミル、そもそもこのふたつの民族は、どのような歴史を歩んできたのか

109号 2004年 夏


エチオピア西南部、ハナの小学校
福井勝義

特集 人はなぜ戦うのか

「簡単に人を殺す」。1950年代に出た報告書に、そう書かれたボディの人びと。エチオピア西南部では、当時から、そして、いまも民族間の戦いが繰り返されている。そこにどのような論理がひそんでいるのか。「戦い」「暴力」「攻撃性」の問題は、テロと戦争で幕を開けた21世紀を生きるわれわれの眼前に大きく立ちはだかっている。人はなぜ戦うのか、なぜ殺しあうのかをエチオピア西南部で考える

戦いの底流をとらえるために 文・ 福井 勝義
彼らはどうして相互に戦い、殺しあうのか。そこには長い歴史的な過程で育まれてきた背景があるはずである。わたしたちは、たまたまある歴史の断面をみているにすぎない。その底流にふれることなしに、民族間の「戦い」は理解できない

攻撃される側とされる側 牧畜民ボディ 文・ 福井勝義
自動小銃、単発銃を手に、農耕民の村を襲撃するボディ。攻撃をうけた地を訪れ、話を聞くにつれ、農耕民の犠牲者がいかにおびただしいものであったか、その実態がかなり浮き彫りになってきた

戦いを奪われた民 農耕民マロ 文・ 藤本 武
いまから5年前、農耕民マロは突然の襲撃をうけた。襲撃者は銃で武装し、家畜、現金、物品を略奪し、引きあげていった。襲撃者は何者だったのか。なぜマロは襲撃をうけなければならなかったのか。いっぽう歴史をさかのぼることでみえてくる、彼らのべつの姿とは

銃はどこからきたか 文・ 増田 研
エチオピア西南部では、驚くほどおおくの銃が人びとの日常の風景のなかにみられる。これらの銃はどこからきたのか、どのようにひろまっていったのか

自然の要塞としての森 森の民マジャン 文・ 佐藤廉也
敵がどんな武器をもっていても、森に入りこめば、地の利はマジャンにある。彼らにとって、森は生活のためのあらゆる資源を供給してくれる恵みの場であると同時に、襲撃の恐怖から身を守るための天然の要塞である。そんなマジャンとアニュワ人の戦いのきっかけは、アニュワの男性によるマジャン女性のレイプ殺人事件だった

「殺し」を尊ぶ文化 農耕民バンナ 文・ 増田 研
かつてバンナでは、他集団の家畜を略奪し、「敵」を殺したものには特別の称号が与えられた。いまは、大きな戦いはなくなったが、男の子たちは、幼いころから小さな「殺し」に挑戦する。バンナでは、なにかの動物を殺すことに高い価値が置かれているのだ

戦う相手は敵か、隣人か 少数民族ムグジ 文・ 松田 凡
少数民族ムグジの戦いを考えるとき、近代戦争に慣らされたわれわれは、つい誤解をしてしまう。けっしてそれは民族同士の全面戦争ではない。戦いには明瞭な大義名分も、勝ち負けもない。では、彼らが戦うのはなんのためか

我らと彼らのあいだ 文・ 福井 勝義
戦い、殺しあう人びと。その背景には、地球上の多くの社会で長い歴史的過程のなかで育んできた、みずからの帰属性をその社会に見いだすような、また「他者」に対して排他性を示していくような「統合と排他性」にかかわる文化装置があるのではないか

南半球ワイン紀行 第5回
お肉の国のナチュラルなワイン

森枝 卓士

世界屈指のワイン産出国、アルゼンチン。国土の二割を占める大平原パンパでは、さかんに放牧がおこなわれている。もちろん、食の中心は、肉、肉、肉。そして、アンデス山脈の麓にひろがるブドウ畑からは、人びとの食生活のバランスをとるかのように、「体によい」ワインが生まれてくる

モアイ幻想

文・山口 由美
写真・飯田 裕子

南太平洋の絶海の孤島、南緯27.9度、西経109.23度に位置するイースター島。1995年にユネスコから世界文化遺産に指定されたが、島の文化を代表するモアイ像以外には、さしてみるものもなく、楽しむ場もない。それでも、モアイ像をひと目みたいがために、年間2000人弱の日本人が訪れる。いったいなにがそこまで日本人をひきつけるのか。日本人観光客が抱く幻想と島の魅力にせまる

森が語る地球の素顔

河野 昭一

森の木を薪にして燃やし、暖をとり、煮炊きをする。有史以前から、人は森に深く依存して生活をしてきた。その日常的な森の資源の消費に、さらに近年、国家レベルの大規模な伐採がくわわり、豊饒の森とよばれた山野の木々はいま無惨な姿をさらしている。便利さの追求の代償として、うしなったものはあまりに大きい