季刊民族学192号 2025年春

季刊民族学192号の表紙

ダースレイダー[責任編集]
特集 ヒップホップ──逆転の哲学

ヒップホップは、1970年代のニューヨークでアフリカ系アメリカ人やラティーノたちのローカルな文化活動として始まり、いまや世界じゅうのストリートを席巻している。本特集では国立民族学博物館特別客員教授を務めるラッパーのダースレイダー氏の責任編集により、非欧米圏においてさまざまな言語でプレイするラッパーたちに焦点を当てる。本場から遠く離れ、文化も異なる辺境の地でラップをする意味とは何か。彼らがいかに、言葉の意味を反転させて使う「逆転の哲学」を武器に闘っているのかをレポートする。

目次
  • 000 表紙「マイナスをプラスに転化する芸術(アート)」撮影:軽刈田 凡平
  • 001 目次
  • 002 特集「ヒップホップ──逆転の哲学」
  • 004「ヒップホップは逆転の哲学」ダースレイダー(ラッパー・MC/国立民族学博物館特別客員教授)
  • 010「ホームをみずから選びとる──台湾原住民のヒップホップ」小幡 あゆみ(法政大学ソーシャル・イノベーションセンター コーディネーター)、Mr. 麿(ラッパー・映像ディレクター)
  • 020「Sorry ここは香港だ──サイアクな街に響くヒップホップの快楽」小栗 宏太(東京外国語大学ジュニア・フェロー)
  • 026「韓国ヒップホップ1989-2024──独自のアイデンティティと日本ヒップホップとの関係性を中心に」キム・ボンヒョン(音楽評論家)
  • 034 「ヒップホップ異郷紀行」ダースレイダー
  • 044「多層都市ムンバイのヒップホップシーン──エンターテインメント、エンパワーメント、ポップカルチャー、そしてストリートカルチャー」軽刈田 凡平(インド音楽ブロガー・ライター)
  • 054「ラップにこめる霊力と世界の変革──カメルーンのラッパーたち」矢野原 佑史(京都大学アフリカ地域研究資料センター 特任研究員)
  • 062「辺境のフィメール・ラッパー──スポットライトを奪い取る」村本 茜(鹿児島大学大学院博士後期課程)
  • 072〈鼎談〉「日本語でラップするということ」ダースレイダー、HUNGER(GAGLE MC)、荘子it(Dos Monos トラックメイカー/ラッパー)
  • 082 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第10回
    「インド、ラバーリー社会の刺繡布の変化──技術と機能に注目して」上羽 陽子(国立民族学博物館教授)
  • 090「旅する民族誌、旅せぬ編集者」韓 智仁(春風社編集部・大阪大学大学院博士後期課程)
  • 097 連載 野僧記──映像人類学者のオートエスノグラフィー 第1回
    「私が纏っている衣」川瀬 慈(国立民族学博物館教授)

 

編集後記

 ヒップホップは70年代生まれとされますが、それ以前の文化も継承しているようです。たとえば、繰り返し・リズム・韻、などラップの特徴は、文字以前の口承文化時代、長大な叙事詩を伝承する際に暗唱しやすくする工夫と共通します。これが曲と結びつくと、江戸期の阿呆陀羅経など風刺や批判のプロテストソングの系譜につながります。音響はまた、身体に作用し、合唱する皆を巻きこみ、感動や興奮を共有する空間をつくり出す魔力をもちます。宗教空間でも賛美歌や祝詞として活躍し、超自然との通信手段と目されるので神秘性ももち、トランスさえもたらします。五感をまるごと共有する空間がコミュニケーションの原点ですが、ダースレイダー氏の紀行文が活写する、モンゴル大草原での熱気、即興性、それゆえの創造性が身上のアートが生まれる瞬間も、そんな空間だからこそでしょう。
 この「野外」というのも大切な要素で、ヒップホップはストリートカルチャーのひとつ。道具・装置・持続的場をもたない貧しい若者たちが、体ひとつで自己表現する突発・一時・流動的な文化として、60年代カウンターカルチャーから派生し、スケボーやブレイクダンス、落書きなど、裏通りから生まれるのがポイント。常に文化革新は路地裏からという、「中心と周縁」論に通じる見方もあります。80年代以降の新自由主義経済により、それまで政治批判の主役だった労働者、学生、学界などが解体され、それに代わって街頭に出現した、枠にとらわれずに出入り自由、楽しく祝祭気分でおこなう批判活動だ、とみる政治的論考もあります。
 でも、オリンピック正式種目になったスケートボードやブレイキン、路上芸術家バンクシーのように、表通りに出てメジャーとなることに対し、体制に取りこまれ消費財となった、という批判もあるようです。が、本特集が紹介する各地域の実践例は、若者の担う「周縁」が新たなシーンを励起するのを予感させます。とくにサイファーという様式の可能性に期待が膨らみます。
 ところで、今号から始まった川瀬慈さんの連載、ご自身の出自を生かした人類学的知見が展開されるのが楽しみです。
 最後になりますが、異文化共生を見通す論考を本誌にも寄せてくださった民博の菅瀬晶子さんが3月末に逝去されました。最期までパレスチナへの思いを発信されつづけた行動力に頭を垂れるばかりです。(久保正敏)

 

2025(令和七)年4月30日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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「国立民族学博物館友の会」へご入会いただければ定期的にお届けいたします。

季刊民族学191号 2025年冬

特集 大阪――野生の都市

商都、工都、水都など大阪はさまざまに形容されてきましたが、大阪を「野性を帯びた都会」とよんだのは、大阪生まれの民俗学者・歌人の折口信夫(釈迢空)でした。「都市に慣れながら、野性を深く持つのが、大阪びとの常である」「比較的野性の多い大阪人が、都会文芸を作り上げる可能性を多く持っている」と、折口は故郷大阪への期待を語っています。本特集では、古代の野性性と近代の都市性をあわせもつ「野生の都市・大阪」が生み出した批判的で創造的な文化の魅力を解き明かしたいと思います。

目次
  • 000 表紙「難波橋(通称ライオン橋)」撮影:編集部
  • 001 目次
  • 002 表紙のことば 文:編集部
  • 003 特集「大阪――野生の都市」
  • 004「折口信夫の『妣(はは)が国』」安藤 礼二(多摩美術大学教授)
  • 011「大阪[大坂=大いなる境]と近松門左衛門」黒澤 はゆま(小説家)
  • 018「『船場派』の再発見――大阪画壇と床の間の美意識」橋爪 節也(大阪大学名誉教授)
  • 028「文学における大阪的なるもの」高橋 俊郎(大阪文学振興会事務局長、帝塚山派文学学会副代表)
  • 036 みんぱく研究者による極私的オオサカ論
    「大阪にはうまいもんがいっぱいあるんやで」野林 厚志(国立民族学博物館教授)
    「大阪ことばにしばかれる」吉岡 乾(国立民族学博物館准教授)
    「天満十字の道と川」樫永 真佐夫(国立民族学博物館教授)
    「ぶどう棚が広がる風景」藤井 真一(国立民族学博物館助教)
  • 044「着物の粋(すい)から洋装のエレガンスへ――近代における大阪ファッションの系譜」横川 公子(武庫川女子大学附属総合ミュージアム特任教授)
  • 054「『共生の街』をめざす大阪コリアタウン――その誕生と変遷」髙 正子(大阪コリアタウン歴史資料館長)
  • 062「地車(だんじり)の美と熱狂――祭を彩る神賑(かみにぎわい)」森田 玲(同志社大学嘱託講師)
  • 072「文化都市・大阪の『民の力』」吉田 憲司(国立民族学博物館長)
  • 078 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第9回
    「工芸品からアートへ――オーストラリアにおけるアボリジニ編組品の変貌」窪田 幸子(芦屋大学学長、神戸大学名誉教授)
  • 086 日本万国博覧会記念公園シンポジウム2024「協働・共創の万博をめざして」吉田 憲司(国立民族学博物館長)/中島 さち子(株式会社steAm代表取締役、大阪・関西万博テーマ事業プロデューサー)/堂目 卓生(大阪大学総長補佐、社会ソリューションイニシアティブ長)/佐野 真由子(京都大学大学院教授)/中牧 弘允(千⾥⽂化財団理事⻑)

 

編集後記

 「大阪の野生」とは、近代性と古代性、強さと弱さ、求心指向と遠心指向、などの両義性、もっというなら多様性を包摂する懐の深さ、ということでしょうか。しかしその一方で、「オリンピック・万博」ペアが「東京・大阪」の組で何度も企画されてきたように(ただし、ともに東京の戦前ペアは不発だった)、常に東京をライバル視すると同時に憧れる、アンビバレントな心性も垣間見えます。そういえば今年は、大東京に対抗して「大大阪」と自称して100年ですね。
 大阪を舞台とする小説で私が好きなのは『日本三文オペラ』。大阪城東側の広大な敷地にあった東洋一の軍需工場「大阪砲兵工廠」を、終戦詔勅の前夜、軍事力の根を絶つべくB-2‌9が徹底的に破壊、廃墟には鉄や貴金属類が10年以上放置され、それを盗み出す泥棒集団が「アパッチ族」です。日本人、朝鮮半島出身者、沖縄出身者など、たくましい食い詰め者たちの共同生活模様を描いたこの作品は、「災害ユートピア」のような理想社会の姿として私の心を打ちました。著者開高健氏がやや理想化しすぎたきらいもありますが。1960年前後に無法集団は解散、ユートピアは霧散、子どもの私が城東線電車から見た赤錆鉄骨群は、国鉄電車区、公園、ビジネスパークに変貌、戦後が消えました。
 本特集に引き寄せれば、古来、大阪湾や河内湖に接する水郷大阪に多様な人びとが集まった野生味が敗戦時に幻のごとく蘇ったのが、このコミュニティだったのかも知れません。特集で語られている生野区が近いのも必然、そういえば、街の賑わいが聞こえてきそうな絵地図を寄稿された樫永真佐夫氏は、「野生」を引っ繰り返すと「生野」、と警句を発しておられました。
 コリアタウンが目指す他者との共生にかかわって、私が最近読んだ『都市の正義が地方を壊す』(山下祐介著)に刺激を受けました。日本の人口減少が止まらないのは共生コミュニティが成立しづらい大都市に人口が集中するからで、その原因は、東京中心の序列化、つまり地方よりは中央、農山漁村よりは都市、そして、第三次産業をトップとする「職業威信」の序列化があり、所得や財産の序列化も、これに沿っているのかも、というのです。この意識構造から脱するには、どの職業に就いても将来に不安がなく、お互い様の精神で支え合い敗者が生まれない仕組み、そして、ナショナル・ミニマムを設定し富を再配分する仕組みが必要でしょう。これは、いのち輝く未来社会の実現にも通じる視点でしょうか。(久保正敏)

 

2025(令和七)年1月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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季刊民族学190号 2024年秋

国立民族学博物館 創設50周年記念 特集 私たちが歩んだ半世紀

 1960年代の世界を彩ったのは「異議申し立て」だった。近代的価値観、科学技術万能主義、進歩史観、成長神話や中央集権的価値観から決別し、さまざまな分野で新たな道を模索する動きがはじまった世界史的な一大画期だったといえる。国立民族学博物館が創設された1974年は第一次オイルショックを機にそれらの動きが一転し、別のモードへの移行が始まる年でもあった。
 一般に歴史年表は、縦軸に年を、横軸に政治、経済、社会、文化、世相などのテーマを配することが多い。バタフライ効果ではないが、テーマごとの縦長年表を横方向にまたがってつなぐ相関関係を見出すことが、歴史年表を読む醍醐味のひとつに相違ない。本特集も、いくつかのテーマを横軸に置いて年表を思い描いてみるとどうなるか、の試みである。読者諸賢はこの50年を振り返るなかで、本特集の論考で暗示されている諸々の相関関係への洞察をお持ちになるにちがいない。そうした洞察が、次の、より良い時代への展望につながることを、願わずにはいられない。

目次
  • 000 表紙「民博誕生前夜の創設準備室 大阪分室」提供:国立民族学博物館
  • 001 目次
  • 002 表紙のことば 文:編集部
  • 003 国立民族学博物館 創設50周年記念 特集「私たちが歩んだ半世紀」
  • 004「ポスト『1968年』の社会運動――ドイツと日本の比較から」西田 慎(奈良教育大学教授)
  • 012「いま日本で原油・天然ガスに向き合う――終わった生産、終われない管理」縄田 浩志(京都大学教授・国立民族学博物館客員教授)
  • 023「何が日本の食卓を変えたのか――『洋風化』と食料安全保障」鈴木 宣弘(東京大学大学院特任教授)
  • 030「日本の『カルト問題』に見られる奇妙な構造――ひとつの素描」大田 俊寛(埼玉大学非常勤講師)
  • 036「演歌/アイドル/ニューミュージックの三極構造――1974年以後の大衆音楽」輪島 裕介(大阪大学教授)
  • 042「〈枷(かせ)〉と〈剣(つるぎ)〉のせめぎあい――メイクとファッションの50年」栗田 宣義(甲南大学教授)
  • 050「カワイイ文化・オタク文化とその越境――ハローキティから『腐女子』まで」床呂 郁哉(東京外国語大学教授)
  • 058「人文科学とコンピュータの半世紀――ある研究者の奮闘物語」及川 昭文(総合研究大学院大学名誉教授)
  • 066「文化人類学、半世紀の潮流」岸上 伸啓(国立民族学博物館名誉教授)
  • 072 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第8回
    「『伝統』を継ぎ接ぎする――トルコ絨毯の新たな展開」田村 うらら(金沢大学准教授)
  • 080「山分けの島の分かち合いの食文化――バヌアツ共和国フツナ島の饗宴の事例から」木下 靖子(沖縄美ら島財団総合研究所研究員)
  • 090「ミャンマーのチーズづくり――キッチンでつくるノゲー、雲南から来たノチャウ」竹井 恵美子(大阪学院大学教授)
  • 103 索引索引 No.181〜No.190

編集後記

 「トラつば」ロスからタイトルバックの群舞や胸熱シーンを振り返って涙ぐむ私を老人性感情失禁と細君は笑いますが、NHKの朝ドラ「虎に翼」から現代史の見方を多々教えられました。
 近代的歴史の見方が生まれた一九世紀欧州は科学の世紀、自然科学に負けじと客観性を求め、記憶を排除し公的記録に依拠する実証主義から始まった近代歴史学は、その後、時代の雰囲気や状況によって変化してきたそうです。国民国家形成に資する歴史学、その欺瞞的客観性への批判、対象を民衆や周縁領域に広げる動き、言語の恣意性に依存する記録より民衆記憶や語りの重視、専門家任せではない歴史学の模索、グローバリズムさらには地球史も含めたビッグ・ヒストリーなど。つまり歴史学自体も、政治・経済、文化や思想に影響され続けてきた、歴史的な事象なのですね。
 歴史学を、膨大な「真実」の事象群から取捨選択した「事実」の間の因果関係を解釈する営み、と言うなら百人百様の歴史観があって当然、特に現代史の場合、事象に遭遇した当事者には自己弁護や正当化のバイアスがかかるので、むしろ後の世代の方がより客観的で俯瞰的見方になる、との論があります。 また事象の同時代人でも、事態の進行中に全体像をつかむのはかえって困難、団塊世代の私も異議申し立てが世界史上の画期とは、後で知りました。本特集の場合、執筆者のほとんどは団塊の次の世代ですが、育った時代の政治・経済・文化環境の違いが歴史観にも微妙な違いを生んでいるようにも思います。
 歴史から学ぶことは可能でしょうか。自然科学は再現性を重視するが、人間社会の事象は一回性なので歴史学は科学ではなく教訓は得られぬとの見方があります。が、自然科学でも、原子レベルまで同一の条件下での再現は不可能であり確率論的な因果関係を問うのだから、歴史学でも条件を整えれば因果推論が可能で教訓を導くことはできるとの議論もあります。 冷戦終結後、民族主義や自国中心主義がかえって強まり、弱者ばかり苦しむ紛争や分断が蔓延しています。衣食足りて礼節を知る、ではないが、貧困と差別がなくなれば世界は平和になるかも知れません。が、それとはほど遠い現状、人類は歴史から何も学ばなかったか、と悲観的になります。「トラつば」の主題歌ではないけれど、100年先に、前半50年の教訓を踏まえ、貧困・差別のない穏やかな未来が来るのを願います。
(編集長 久保正敏)

 

2024(令和六)年10月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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季刊民族学189号 2024年夏

特集 先住民のデジタル世界――ありふれた日常実践と、あらたなる挑戦

 世界規模の情報通信インフラの拡充にともない、各地の先住⺠コミュニティにおいてもインターネットへのアクセスが⼀般的なものとなり、デジタル機器が盛んに利⽤されています。本特集では、SNS やアプリの利⽤、スマホでのやりとりなど、先住⺠のありふれた⽇常実践を通して、先住⺠の多種多様なデジタル世界とそこで展開されるあらたなる挑戦に迫ります。

目次
  • 000 表紙「ハンズフリー通話でつながる」撮影:平野智佳⼦
  • 001 目次
  • 002 表紙のことば 文:平野智佳⼦
  • 003 特集「先住民のデジタル世界――ありふれた日常実践と、あらたなる挑戦」
  • 004「躍動する先住民のデジタル世界」平野 智佳子(国⽴⺠族学博物館准教授)
  • 010「SNSを通したアボリジナリティの形成――ブロディ家の事例から」栗⽥ 梨津⼦(神奈川⼤学准教授)
  • 016「「歌と踊りのデジタルアーカイブ――先住⺠マオリによるFacebookの活⽤」⼟井 冬樹(天理⼤学講師)
  • 026「ロサンゼルスのメキシコ移⺠をつなぐゲラゲッツァ」⼭越 英嗣(都留⽂科⼤学准教授)
  • 034「オンライン化で変わる先住民居住区の暮らし――近くて遠いブリブリの人びととその世界」額田 有美(南⼭⼤学講師)
  • 042「クルージング・ザ・インターネット――ナヴァホ・ネイションにおけるデジタル・メディアとSNS」渡辺 浩平(国⽴⺠族学博物館外来研究員)
  • 046「⽻根飾りの冠に⼸⽮を構え、スマホで繋がりドローンを操る――ペルーのアマゾニア先住⺠の森と河を守る運動」神崎 隼⼈(⼤阪⼤学附属図書館特任研究員)
  • 054「国境係争地でスマホを開く――インド北東部における⼈、機械、環境の関係」⻑岡 慶(東京⼤学学振研究員)
  • 064「ネット コタン アンカㇻ(ネットのまちをつくる)――アイヌがネット空間でつながるために」北原 モコットゥナㇱ(北海道⼤学教授)
  • 070「街の空間とリズムに触発される――ハバナの⾳響空間、モザンビーク島の近所づきあい」松井 梓(国⽴⺠族学博物館特任助教)
  • 080「天上から地上へ魂を導く⼤凧――グアテマラ、マヤ先住⺠集落の死者の⽇」本⾕ 裕⼦(慶應義塾⼤学教授)
  • 091「『声』が聞こえる現象とは何か?――スピリチュアルと統合失調症のあいだの心理人類学」<後編>ターニャ・M・ラーマン(スタンフォード大学教授)
  • 096 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第7回
    「中国貴州省、ミャオ族の頭布――日々の装いに起きた変化」佐藤 若菜(京都⼥⼦⼤学准教授)

 

編集後記

 今号の記事で気づくのは、情報メディアに関する多様な論考。特集はもとより、本谷論考に登場する凧は、祖霊や雷、またメリー・ポピンズなど異界の存在との通信手段でもあるし、松井論考の音響空間も体感メディアですね。情報メディアつながりで、私は「文明の追い越し論」を思い出しました。
 関西を基盤として東洋紡績(現・東洋紡株式会社)を発展させた谷口豊三郎氏は学問界のパトロンとしても知られ、民博も一九七七年から一九九八年にかけ、ふたつの国際シンポジウム開催への支援を受けてきました。そのひとつ「文明学部門」シリーズで語られた論点のひとつが、文明のシステムや制度面でのニューカマーはしばしば先達を追い越す、という追い越し論。通信インフラの分野でも、有線インフラ整備が困難だった多島地域や乾燥地域では、無線通信や衛星通信技術を取り入れることで通信網の整備が一気に進み、既存地域を追い越した、というのも一例です。
 今号の特集が紹介するのも、時間と空間の距離を克服するデジタル・メディアなればこその先住民社会での活用術の数々。非接触・非対面のコロナ禍でいっそう促進された活用法を、先住民社会がうまく生かす様子が描かれます。
 二昔前まで私が調査していたオーストラリア辺境の村にも、一九八〇年代に導入され始めたマイクロ波通信インフラが遠隔地の先住民間のコミュニケーションを一挙に変え、生活をも変えました。採集狩猟社会で無文字文化を基盤とする先住民の人びとは高い図的イメージ操作能力を維持しているのか、アイコンを多用するユーザインタフェースが特徴のMacに素早く馴染み使いこなす姿に、当時の私は目を見張りましたが、これはいまや日常の姿。
 先住民の人びとは、「自然に優しい」など憧憬の対象となる一方で、いまだに差別的な視線を向けられることもつづいており、外部からの情報発信がこれら両極の見方を過剰に増幅する現象も、情報メディアの負の側面でしょう。先住民が使いこなす情報メディアは、それらをいなしつつも、自文化の発展に寄与していますが、それだけでなく、もうひとつ重要な意義をもつ、と思われます。
 先住民の世界は、概して辺境で厳しい環境にあります。だからこそ、森林破壊、農地破壊、そして温暖化など、西欧型社会のつくりだす災禍の被害者です。そうした地域からのグローバルな問題の提起や異議申し立て、たとえば「気候正義」の訴えを、世界はもっと真摯に受けとめねば、と思うのです。
(編集長 久保正敏)

 

2024(令和六)年7月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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