第80回 民族学研修の旅 アドリア海交易のかがやき ─ ─バルカンの歴史・民族を考える

第80回 民族学研修の旅 アドリア海交易のかがやき ─ ─バルカンの歴史・民族を考える

2012年5月17日(木)~26日(土)

ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニアなどが位置するバルカン半島の西部は、さまざまな民族や宗教が混在したモザイクのような地域という印象が強いのではないでしょうか。

たとえば、かつてオリンピックが開催されたサラエボでは、セルビア正教会、カトリック教会、シナゴーグ、モスクが隣接する街並みに旅人は魅了されたと言います。こうした多文化共生の背景を学ぶことが、この旅の目的のひとつです。

今回訪問する都市の多くは、かつてアドリア海の交易で栄えた都市です。天然の良港に恵まれ、古代からさまざまなものや人がゆきかう舞台でした。なかでもアドリア海の真珠と称されたドブロヴニクは、16世紀当時、世界最高レベルの海洋技術を有し、ヴェネツィアと比肩されるほどの勢いをもっていました。サラエボやモスタルなど内陸の都市も、交易の中継地点として互いに結びつき、ハプスブルグ帝国、オスマン帝国など覇権をめざす大国の間で生き抜いてきました。ドブロヴニクが繁栄した時代は、ヨーロッパでオスマン帝国の脅威が増した時代に重なります。対立と緊張が常であった大国の間にあって、両地域の人びとの生活の需要をみたす交易が、この地域に繁栄をもたらしたのです。さらに東西どちらの文明からもいわゆる「周縁」の地であったことも、異端とされた宗派の人びとやユダヤ人などさまざまな背景をもつ集団の居住を許容していたのです。

ところが民族を単位とする近代国民国家が形成される時代になると、こうした文化的多様さはしだいにきしみを見せ始め、バルカン戦争やボスニア内戦などさまざまな悲劇の原因となりました。しかし、そうした対立を経て、現在ではあらためて共生の道が模索されています。アドリア海沿岸の歴史と自然の美しさも楽しみながら、バルカンの多民族の複雑さとこれからの姿を考えてみましょう。


第80回 アドリア海交易のかがやき-─バルカンの歴史・民族を考える 実施報告

今回はバルカン半島の西側を中心に訪ねました。旧ユーゴスラビア連邦に属していたボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、モンテネグロ。共産政権による独裁政治下で長らく鎖国をしていたアルバニア。それぞれの国で考えさせられることが多い旅でした。
参加者の感想です。

2度目のバルカン訪問により、複雑なバルカン問題を理解するには書物による知識と現場での実体験のサンドイッチを核として、じんわりと時間が熟成してくれるイメージで待つのが、無理矢理わかろうとするよりも良いと思えるようになりました。(桝野玲子さん)

ユーゴ紛争の跡を見て、あの時の事件がここであったのかと、感慨にふけりました。モスタルの橋の両側にモスクと教会があり、隣人同士が撃ち合った現場を目の当たりにしてショックでした。サラエボの図書館も灰燼と化し、人類の喪失と嘆かれました。(池谷豁さん)

民族間の紛争はなぜ起こったのか。そもそも多民族が複雑に入り交じって暮らすようになったのはなぜか。その鍵が中世の交易による人の往来に求められるのではないか、という予想のもとに考えた企画でしたが、やはり百聞は一見に如かず。そこであらためて聞いた講師の新免光比呂先生の解説は、それまでとは異なる理解を促してくれたように思います。

長らくの鎖国体制と、その後の国としての財政破綻を経て、まさしく「これから」という感じがあふれるアルバニアでは、建築バブルの様相も呈していて不安も感じるものの、都市近郊の地域にはまだまだ伝統的な生活が残っているようで、こちらもまた再訪したいものです。


サラエボのユダヤ博物館にて館長の解説を聞く


ドブロヴニク旧市街にあるドミニコ修道会にて。
キリスト教に関する展示の片隅に弾丸が。
外のにぎやかな様子からは忘れがちですが、ここで内戦が繰り広げられていたという事実を突きつけられた気がしました


アルバニアの首都ティラナの市場。オリーブがたくさん売られていました


アルバニアのクルヤ城の近くで