特集 国家/国境をこえて
国家をゆるがす、国境をこえようとするさまざまな現象が生起している。昨年9月11日の事件、そしてその後の国家対テロ組織の「戦争」、これらも、この流れのなかに位置づけられるべきものなのだろう。21世紀、人類はどのような方向をめざすのか。国家をこえた、民族をこえた、宗教をこえた共存原理を構築することができるのだろうか
境界の風景
渡辺 剛
見える事象をそのまま伝えられるという写真の特性をいかして、その互いにせめぎあう複数の風景をひとつに再構築し提示してみせる。それはそのまま、わたし自信の自己確認の作業でもある
いま、わたしたちが立っている場所
2002年版・21世紀の人類像
梅棹忠夫 × 小長谷有紀
「一見、地球の一体化がすすむようにみえて、しかし内容が分裂また分裂と、諸民族の実態的独立というところへすすんでいく」 1979年3月の講演で、梅棹忠夫は21世紀前半をこう予言した。そして2002年のいま、民族問題、グローバリズム、情報化社会のただなかにいるわれわれの21世紀を考える
近代日本国家の成立とアイヌ社会
菊池勇夫
日本とロシアのあいだの国境は、たかだか150年、千島における事実上の国境の成立からみても200年程度の歴史しかない。日本とロシアが出会う以前の時代に逆戻りはできないにしても、国境の壁をできるだけ低くして、隣人同士がいがみあう不幸な関係をただしていくことは可能だろう
弱さゆえに卓越する国家の暴力性
栗本英世
皮肉なことに、弱いにもかかわらす、いや、弱いからこそ、国家の暴力的な側面が卓越してくる。アフリカの国家の、相反するふたつの側面 ─ 弱さと融通無碍、つよさと堅固さ─ は、武力紛争や内戦と密接に結びついている
アメリカとメキシコの相克と対話
黒田悦子
国民が国境を越えて苦労しているのに、メキシコという国はいったいなにをしているのか。メキシコは北の大国の労働力提供国に甘んじようとするのだろうか。国が国民を守らないのなら、国は存在する価値があるのだろうか
歴史と政治のせめぎあう場所
谷川 清
社会主義精神文明の建設をスローガンにかかげ、国家統合をすすめる一方、「民族文化」の育成と発展を急ぐ中国政府。国家を挟んだ少数民族の生活圏をいかに保持し、それを国家の発展に結びつけるかどうかが鍵になる
政府を補完するイスラム教団
小川 了
ムリッド教団の人びとにとっては国境を飛び越すことなどなんともないようにみえる。他方で彼らはグローバル化の裏をかいているのではないかとも思える。グローバル化の波に乗って得た利益が、いわばローカルな教団を支え、そのことがセネガル「国民」の安寧に寄与しているのだ
近代世界システム論からみた21世紀
川北 稔
20世紀末から日本が経験している困難は、「不況」なのか「衰退」なのか。「衰退」はかならずしも「不幸」を意味するとは限らないし、「勃興」や「成長」もまた、かならずしも「幸福」を意味するわけではない。東アジアを主語として考え、そのなかでの日本の位置を考察することが、21世紀をみるうえでもっとも重要になるだろう
創刊25周年記念企画・四半世紀ののちに
サンゴ礁を旅して
オセアニア水産資源管理の25年
文/写真・秋道智彌
沿岸のサンゴ礁海域と沖合の表層部分に集中する南太平洋の水産資源。独立、近代化を果たし、経済のグローバル化の影響をまともにうけてきたオセアニア諸国は、土着の資源管理の衰退ないし揺らぎを経験している。未来をになう若い世代は、激動の海を乗り切れるだろうか
日本洋装史のなかの田中千代
高橋晴子
服飾デザイナーとしてのみならず、『服飾事典』の執筆、国内外の衣服関連資料の収集など、日本の洋装化のさまざまな面においての先駆者、田中千代。4,000点におよぶそのコレクションのなかでも、企業などの制服、改良服、国民服の数かずは、日本の洋装史を跡づける第一級の資料といえよう
在米ポーンペイ人の「9月11日」
カンザス・シティーのヤキュー大会
文/写真・ 清水昭俊
アメリカのどまんなか、カンザス・シティーでおこなわれた「野球」大会。ここで「野球」に打ち込んでいたのは、遠くミクロネシア連邦のポーンペイ州からきた人びとだった。彼らは野球を「ヤキュー」とよび、大会をおこなう9月11日は1945年のこの日、ポーンペイ島が日本統治から「解放」された記念日なのである