特集 境界をゆきかう日系人
日本からの移住者およびその子孫である「日系人」は世界全体で400 万人以上いるともいわれ、その移住の歴史は1868年のハワイへの集団移住を起点とすれば150 年を超える。 本特集では、ルーツや移住の事情、居住地、世代、アイデンティティのあり方など、多様な日系人を取りあげる。国や文化、民族の境界に生き、境界をゆきかう日系人の姿をとおして、異なる文化をもつ人びとが共生する社会のあり方を考えたい。
いまや広辞苑でさえ「競争社会における勝者/敗者」と解説する「勝ち組と負け組」。原義は、根川論考の注の通り、第二次世界大戦後、ブラジルの日系人社会を二分し、二十余名の死者まで出した二年におよぶ抗争で生まれた言葉。この混乱は現地の反日感情を招き、その結果ブラジルへの永住を決意した二世が一気に増えたそうです。
それまでの日本には、移民に寄り添う移民政策はなく(現在もそうかも)、棄民政策のみ、という捉え方もあります。人口過多の日本と労働力不足の相手国、双方の思惑一致で結ばれた官約、向かった先で辛酸をなめた人びと、大戦終結時に元敵国の現地に取り残された悲惨な経験など、日系移民という言葉に、私は暗いイメージをもっていました。一九八〇年代以降の出稼ぎ移住も、結局は、雇用側の都合でいつでも切れる労働即戦力という位置づけだったのでしょうか。本号の特集は、そうした歴史に翻弄されつつ、どっこい生きてきた日系移民の方々へのエールです。
日系については、小嶋論考が示す定義の多様性に驚きました。原則は血統ですが、徐々に本人の選択に委ねられるように変化してきた点は、豪州などで「先住民」認定が本人の意識を重視するようになったのと、同じ流れでしょう。
そもそも、血統にこだわる社会は、生きやすいのでしょうか。しばしば排他的な運動に結びついた歴史があるし、また、混血した人びとは、差別され、帰属意識に悩み、教育の面でも苦労します。ほんとうは、複数の文化の橋渡しができる、異文化の共生にとって貴重な存在なのに。城田論考のミグリチュードのように、混血が進んだとき、遠い祖先の一人が日本人ということは、あまり意味をもたなくなるかも知れません。
私が思うに、自分が共感する集団やコミュニティが帰属意識の源であり、だれでも複数のコミュニティに属しているので、血統にこだわらず、みずからが属すると考える複数のコミュニティに対しアイデンティティを感じるのが宜しいのではないか、さらには、私たちはすべて地球人とみなし、その認識の下で互いを認め合う社会の到来。新年、私はそんなことを夢想したのです。
最後になりましたが、新年早々、能登半島地震により亡くなられた方々、被災された方々に、心よりお悔やみとお見舞いを申しあげます。
(編集長 久保正敏)
2024(令和六)年1月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団
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