季刊民族学186号 2023年秋

特集 争いの終わらせ方――紛争解決と共生の人類学

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まって一年八ヵ月が経とうとしているが、いまだ終結の兆しはみえない。さらにイスラム組織ハマスとイスラエルの軍事衝突が世界に衝撃を与えた。いまこそ世界各地で発生している紛争や深刻な人権侵害について目を向けることが必要だ。本特集では争いの「終わらせ方」に着目し、紛争はどのように収束してきたのか、また収束していくのかを考えたい。そこにはどのような知恵やシステムが働いているのだろうか。各地域の事例から紛争を回避する仕組みや共生につなげるための術を学ぶ。

目次
000 表紙「記憶をめぐる闘い」写真:細谷広美(成蹊大学教授)
001 目次
002 表紙のことば 文:細谷広美(成蹊大学教授)
003 特集「争いの終わらせ方――紛争解決と共生の人類学」
004「暴力の連鎖を断ち切るための術――ソロモン諸島における紛争処理の文化」藤井真一(国立民族学博物館助教)
012「アフリカの紛争の終わらせ方――もうひとつの人間観にもとづく知恵に学ぶ」松田素二(総合地球環境学研究所特任教授)
020「予言者は紛争を終わらせることができるか?――南スーダンの旅する予言」橋本栄莉(立教大学准教授)
026「「真実」の万華鏡――ペルー真実和解委員会と平和構築」細谷広美(成蹊大学教授)
034「終わらない解決――アルゼンチン・記憶の民衆運動」石田智恵(早稲田大学准教授)
042 「過去との和解、インドネシアとの共生――東ティモールの「争い」の終わらせ方とそのジレンマ」井上浩子(大東文化大学准教授)
050「自治政府設立と紛争終結への長い道のり――フィリピン南部のモロ」石井正子(立教大学教授)
058「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争にみる「争いを終わらせない方法」から学ぶ「争いの終わらせ方」」長有紀枝(立教大学大学院教授)
066「笑いの向こうにみる紛争と分断の経験――北アイルランド・ベルファストの日常経験の多面性」酒井朋子(京都大学准教授)
072「空手道の現代イラン的展開」黒田賢治(国立民族学博物館助教)
080「中華とイスラームのはざまで――現代中国を生きる回族」奈良雅史(国立民族学博物館准教授)
088「死者の「存在」を刻む――パプアニューギニアにおける死と贈与儀礼」門馬一平(人間文化研究機構研究員特任助教)
096 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第4回
「ラオス北部、タイ系民族の手織り布――素材と技術への価値づけ」落合雪野(龍谷大学教授)

編集後記

 一〇月二日は国連総会が決定した「国際非暴力デー」、ガンジーの誕生日にちなみますが、彼の生涯を描いた一九八二年の英印米合作映画「ガンジー」の最後のほうに印象的な場面があります。あるヒンドゥー教徒の男が「私は地獄に堕ちる」とガンジーに語る、ガンジーが「なぜ地獄に堕ちると思うのか」と問うと「自分の息子をムスリムに殺されたので、ムスリムの子どもを殺したから」と答える彼に向かって、「地獄から脱け出る道がある。息子と同じ年頃で両親を殺された子どもを探し、自分の子として育てよ、ただしムスリムの子を、ムスリムとして育てること」と諭すのです。復讐の連鎖を断つにはこれしかないのか、と私も胸を衝かれました。
 ヒトはなぜ争うのでしょう。民族意識、宗教意識、カースト、ジェンダーなどのいわば仮構の体系、それらを再生産することで自らの存続を狙う諸権力や神話などに人びとが縛られていることのほかに、仮構を補強する経済格差も反目の原因でしょう。
 では、これら仮構から自由になる方法は?と問うのが今号の特集。読むのがつらい原稿ばかりですが、争いが終わった後も、真実を問いつづけ、和解を図る活動を続けることが肝要、と理解しました。「真実和解委員会」や「移行期正義」などの概念も初めて知りました。
 争いの後始末に成功した例は少ない。関係者にとって真実はひとつか、正義はひとつか、公正に人を裁くことは可能か、公正とは何か。人類史には難問に答えられなかった事例があふれています。 復讐の連鎖から脱して相互に許し合い和解するには、仮構や縛りを相対化することが必須でしょう。ガンジーが課した試練や、ブッダの説く悟りも、同じことかも知れません。が、凡人にはたやすいことではありません。せめて、視野を広げズームアウトしながら物事の背景を俯瞰するための知識を得ようとする個人的努力、それを支援する教育体制を整え、そして経済格差を小さくする世界規模の努力。これらが鍵ではと思います。
 文化人類学・民族学の視点がその一助にならんことを。
(編集長 久保正敏)

 

2023(令和五)年10月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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