季刊民族学184号 2023年春

特集 カラダの⼈類学 —— ⾝体という秘境を旅する

 コロナ禍のなかで、私たちは他者の身体に触れたり触れられたりすることに気を使い、体温測定や手指の消毒など自己の身体管理を強く意識するようになった。こうした経験から、自身の身体観に変化が生じた人も少なくないだろう。もっとも身近にありながら思い通りにならない存在、自分のものなのに自分だけのものではないといった身体の不思議に迫る。

目次
000 表紙「インドの村で生まれたばかりの孫を抱く祖母」写真:松尾瑞穂(国⽴⺠族学博物館准教授)
001 目次
002 表紙のことば 文:松尾瑞穂
003 特集「カラダの⼈類学――⾝体という秘境を旅する」
004「乳を通したつながりの形成――インドにおける⺟乳哺育と交換しあう⾝体」松尾瑞穂
012「森の「お留守番」――アフリカ狩猟採集⺠社会からケアを考える」⼾⽥美佳⼦(上智⼤学准教授)
022「描かれた⾝体――浮世絵と絵⾺に探る」安井眞奈美(国際⽇本⽂化研究センター教授)
032「ボクシングする⾝体」樫永真佐夫(国⽴⺠族学博物館教授)
036「アメリカのファット・アクティビズムにみる 肥満問題と体型の多様性」碇陽⼦(明治⼤学専任講師)
044 「良い死、悪い死、普通の死――ラオス低地農村部に暮らす⼈びとの死⽣観」岩佐光広(⾼知⼤学准教授)
054「⽳だらけの⾝体と精神――イタリアの精神保健から⾒えるもの」松嶋健(広島⼤学准教授)
058 特別対談「体は全部わかっている――武道と⾝体知」内⽥樹(神⼾⼥学院⼤学名誉教授・「合気道 凱⾵館」館⻑)/広瀬 浩⼆郎(国⽴⺠族学博物館教授)
070 連載 フィールドワーカーの布語り、モノがたり 第2回
「インドのアジュラク――地域社会における染⾊と職⼈の変化」⾦⾕美和(国際ファッション専⾨職⼤学教授)
078 ⽇本万国博覧会記念公園シンポジウム 2022
「⼈類よ、どこへ⾏く? ポストコロナの世界を占う Quo vadis, homini?」斎藤環(筑波⼤学教授)/朝野和典(⼤阪健康安全基盤研究所理事⻑/⼤阪⼤学名誉教授)/⼭中由⾥⼦(国⽴⺠族学博物館教授)/中島隆博(東京⼤学東洋⽂化研究所教授)/吉⽥憲司(国⽴⺠族学博物館⻑)/島村⼀平(国⽴⺠族学博物館教授)/中牧弘允(千⾥⽂化財団理事⻑)

編集後記

 最近の科学番組をみると、脳や心臓が身体を制御する、個人は独立した存在だ、という人間観を否定し、体の内外における相互の連関や扶助が生物進化の鍵、と語られることが多いようです。これは、本号の特集で例示されているような、各個が互いに独立しているとみなす近代の身体観からの脱却、「穴だらけ」で周囲の環境と相互に関わり合う身体観、病気観、死生観と相通じると思われます。
 さまざまな事象から要素を抽出する「要素還元主義」によって次々と法則が発見され、近代科学が成立したといわれます。メディア論でも、活版印刷発明以降、文字の大衆化につれて音声言語社会から文字言語社会へ、五感総体から視覚中心へと情報の受発信も変化し、それが個人意識の醸成と個人中心の近代的人間観形成につながりました。
 こうした近代イデオロギーに異議を申し立てた一九六〇年代以降、個と環境を総体化して考える議論が増えました。アーサー・ケストラーが「ホロン」を唱えたのも、ちょうどそのころでした。
 本特集で興味深いのは、樫永論稿や碇論稿が指摘する、スポーツの時間計測や身体計測の政治性。正確な時間計測の元は、一八世紀英国の「経度法」が促した携行時計発明による正確な経度測定。そのおかげで英国が大航海時代を制した、とされますし、身体測定や知能検査が軍人の選抜に使われ、人種差別の根拠とされてきた歴史があります。また、安井論稿が述べる身体の擬人化は、ペンフィールドの「脳地図」のように入れ子構造の身体を想定し、素粒子物理学のごとく分解を突き進める近代イデオロギーと結びつきそうです。
 謎に満ちた身体の探究は、最近のAI議論も含め、意識とはいったい何か、という私の好きなテーマにもつながり、わくわくはらはらします。
 最後になりますが、この七年にわたり本誌制作においてデザインを統括するとともに、現地の空気感再現にこだわりグラビア誌としての質向上に尽力してこられた山本圭吾氏が、この三月に不慮の死を遂げられました。長年の功績をたたえ、心より哀悼の意を表します。
(編集長 久保正敏)

 

2023(令和五)年4月30日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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