季刊民族学179号 2022年冬

特集 働くことと生きること

 昨今、働き方改革やコロナ禍により、多様な働き方が提案されています。そもそも、働くことは人生にとってどんな意味をもっているのでしょうか。諸民族の働き方や、仕事についての考え方に、そのヒントを探ります。

編集後記

 本号の特集は仕事を考えること。私のような世代ですと、つい『賃労働と資本』とか、映画『モダン・タイムス』を思い出します。これも、近代化が、家庭と仕事、家事と仕事、住まいと仕事を分離し、男女の役割を固定化してきた思考に染まっていたからでしょうか。本特集では、こうした固定観念を問い直すさまざまな事例が紹介され、ヒトはなぜ仕事をするのか、あらためて振り返る機会になります。
 欧米、とくに北欧で進んでいる働き方の変革に対応し、多様な働き方を導入する「働き方改革」が日本で喧伝されるようになったのが2018年、労働人口の減少、過労死への対処が意図とされますが、労働時間短縮の一方専門職は時間制約がないなど、問題点も指摘されました。
 しかしこのコロナ禍は、一挙に働き方に変化を強いました。会議はオンライン、自宅でテレワーク、都心のオフィスは縮小、などが進んだ反面、非正規雇用の方々が職を失うなど経済格差が広がり、さらに忘れてならないのは、対面でないと不可能な医療、介護や接遇、都市の清掃や物流業務など、電子情報だけでは決して成立しない業種が世の中には必須であり、しかもそれを担う人たちは、罹患のリスクや給料の低さなど、割を食っていることです。こうしたエッセンシャル・ワークを宇沢弘文氏は、利益を求める市場原理に決して乗せてはならない「社会的共通資本」とよびましたが、その重要性にあらためて気付かされました。
 また、コロナ禍であらためて気付いたのは、コミュニケーションの語源であるラテン語「コムニス」が場の共有を意味することをふまえると、これこそが、近隣のつながり、弱者への思いやりも含めて、人間社会の基本だったという事実でしょう。場を共有する文化芸術活動が不要不急とされたのは、コミュニケーションを否定するに等しい行為だったわけです。
 パンデミックに対抗し、如何にして人間社会の本質を維持していくことができるか、本年もそうした挑戦が続きそうです。
 昨年、皆様のおかげで公益認定を得た当財団も、公共とは何か、共通資本に貢献するにはどうするか、考えていきたいと思います。(編集長 久保正敏)


2022(令和四)年1月31日発行
発行所:公益財団法人 千里文化財団

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